移動式音楽班自作を演奏する

曠野の歌



 ごくごくパーソナルな動機で音楽作品集というものを制作しました。主に私の本家サイトとこの場で公開することとします。


 6/30(土)より1日1曲、約2週間にわたって公開して参ります。今日からでも何の問題もないのですが、このような機会が頻繁に訪れることなど考えようもない事態でもあるので、少し勿体ぶることにします。都合により公開できない日もあるかと思われますが、途中で投げ出すことなく完遂する所存であります。


 ここで視聴可能な音声ファイルは本家サイトのそれにリンクしているものなので、まず本家サイトが更新され、それからこのダイアリーが更新されるという順番でしばらくの日々、進行していきます。本家サイトもその筋のマニアの娯楽に貢献できるよう充実を図って参りますので、御愛顧くださいますよう、とりわけその筋のマニアの方々向けに、特にお願い申しあげるところであります。


 興味がおありの方はお付き合いくだされば幸いです。また、何かのきっかけで不幸にもかくなる表現の一種に遭遇されてしまわれた方々が発生の際には、いやぁ、悪いことしたね、としか言いようがないよ。ぼかぁ。


 では改めて。


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収録された全ての曲の創作、演奏・録音・編集は移動式音楽班によって為された。


(但し、一曲のみ部分的なカバーを含んだ内容があり、それについては該当する曲を公開する際にその旨を記す)


音楽作品を創作する、という行為に心を奪われたのは、1980年代に遡る。以来、のめり込んだり身を引いたりしながらやってきたが、そのある時期に着想したサウンドを、可能な限り具現化したものが本作である。


80年代の半ば頃に創作されたものから、直近の創作まで、そこには長い歳月に渡り綴られた言葉や、よかれと思い選びとった音が集合したメロディがある。


作品のうち、そのあるものは、書かれた当時の姿をデモテープとして記録していたり、ただ雑にノートに書きつけたものであったりといった、過去の記録や記憶から新たに生み出したものである。また一方で、過半の作品は、この数年の間に創作したものである。


それら曲の原型に、目下の私が繰り出せる、貧相で乏しい技の限りをもって表現したものが、ここにあるものということになるのであろう。長い年月にわたり書き綴ってきたものを、直近の私の感性・作風で演奏したもの、という風にも言える。


録音と制作は、主に我が書斎(蔑称:悪趣味の部屋)にて、2008年から2012年にかけて敢行された。一人で全ての生楽器の演奏と録音をやっているので長い期間を要したものだ。


最初から何かのプラン通りに進行してきたわけでもなく、やがてこういった作品集となったものだが、かといって偶然というわけでもなかろう。


それらは、ほぼ四半世紀を通して、熱く込み上げるものか、或いは冷たく醒めたものか、説明しがたいある種の情熱に動かされ創作された、それぞれの一つのかたち・有様を、音として刻んだ記録なのだろう。それらの音が何か壁のようなものを乗り越えているか、あるいは突き抜けているか、自分なりに希求してやまないものはあるが、例えその何か壁のようなものに屈することになっていたとしても、私はそれを恐れることはない。今までも、これからも。


なお、私はこの作品集を「曠野の歌」と呼ぶ。私が彷徨い漂う土地の歌集である。




2012年6月 移動式音楽班


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では。

ドネルケバブ


 ちょっと街歩きをしていて、昼飯を簡単に済まそうと思い立ち、あぁ、そうだ、ドネルケバブ食おう、そうしよう、と、思い立つ。ドネルケバブ焼いているスタンドの当てがある地区を闊歩していた訳。




 昨今、随分ポピュラーになったように思えるドネルケバブであるが、幾層にも重ねた肉(日本では鶏か牛だな)を、垂直に立てた鉄串に刺し、外側から炙り焼き、焼けた肉を削ぎ切りにしていくという、視覚にずどーんと飛び込んでくる肉塊のワイルドさと、それなりに手間かかるんだろうなぁと、その筋の素人をもってして想像するに難くない文明的な側面を兼ね備えた料理である。


 私は初めての海外旅行でトルコへ行った時(1990年)、こやつと出会った。まぁ、トルコ旅行すりゃ誰でも出会う。軽食スタンドから、どしっとしたレストランまで、道を歩けばドネルケバブにあたるほど焼き焼きしておる。そうなれば物珍しいので思わず挑んでしまうのが人情というものであろう。イスタンブールに着いて最初の飯で、どう頼んだものか今となってはよく思い出せないが、とにかくフランスパン二分の一に切り込みを入れ、ラム肉のドネルケバブと玉ねぎのスライスとトマトなんかを投入したサンドイッチと、ダークチェリーのジュースを頼むことに成功し、軽食スタンドのカウンターで「どれどれ」と賞味したのだ。



 香ばしさ ★★★
 スパイシーさ ★★
 ジュースィーさ ★



 そして私はとりあえずこやつにずっぽし嵌った。スタンドで食えば安上がりだし(ジュース込みで200えんくらいだったかな)。


 毎食ドネルケバブサンドとダークチェリージュース(キラズ・スユという)で人生を終えてもよかったほどだが、流石に遠い異郷の地まで来てそればかりで人生を終えるのも馬鹿げておるため自制したが、実に幾度となくそれを食うこととなった。


 そして私は当然、誰にも知られることなく秘かにドネルケバブ研究を行ったわけだよ。ふっ。


「この高さ1メートルくらいあろうかというずどーんとした塊で何人前あるですか」
「ん?100人前」


 だそうです。大体、質問への答えが概していい加減な人たちなので多分100から200の間のどこかが着地点だと思った。


 軽食スタンドのようなところのドネルケバブは削ぎ切りにすると層になった肉がバラバラバラと落下するが、ちょっと高級レストランではイメージ的にぺろーんと繋がった状態で剥がれてくる。食感も全然違う。


 軽食スタンドで、ただ単に「ドネルケバブサンドイッチ頂戴」と頼むと、フランスパン二分の一サンドイッチが供される。流石に満腹になる。あれこれいろんなものを食したいという好奇心旺盛の貴方にはヘヴィーなことこの上ないであろう。そんな貴方は「四分の一パン(チェイレッキ・エキメッキ)で頂戴」と言えば、半切りの半切りのフランスパンで供してくれるはずだ。私はその事実を明日トルコを去る、という最後のドネルケバブ食いの現場で知った。


 研究以上。




 さて、長い回想シーンの後、私はドネルケバブ焼いているスタンドを発見し、ありつく。牛のドネル。フランスパンではなくピタパンに挟むのが日本ではポピュラーであろう。ドネルケバブを焼く主はトルコ人で、トルコ語を思い出しながら話し込む。トルコの経済成長率などについて。おっと、難しい話は日本語で。

冬の終わりに際して


 もう冬なんて終わりだもんね、と、この冬をすっかり見切ったつもりになっておったら先週末から今週頭に積雪しやがった。まぁ、しかし、終わりも同然だ。季節は移ろうもの、そういうものだよ。すぐに太陽が眩しくて、田舎では緑がきらきらして、都市ではビルのウィンドウに太陽光線が乱反射のシティ派な光景を繰り広げる、と、そういう季節になる。断言する。


 さて、私の生まれ育った地域の冬は寒冷な気候であり(1・2月の平均気温は多分マイナスだな)、私は人生を通じて私の暮らす地域よりも寒い気候を体験したことがなかったのだが、何年か前の韓国ソウル旅行で、やってらんねぇコールド地獄を味わった。マイナス10度以下。日中もほとんど気温が上昇しない感じ。昨年の冬にも赴いたのだがその時はそこまでではなかった。


 私の町近界でもマイナス10度くらいは襲来するような気がするのだが、日中はそれでもマイナス2とかに若干の上昇を見せると思う。そして、まあ、そういう時には屋外活動を極力しない。しかし旅行者というもの、街を闊歩せざるを得ない事情である。マフラーなどを顔面に巻きつけるなど保護しないと、顔が痛いのね。寒すぎて。それが一国の首都、人口1000万人をも上回ろうかという大都市で体験できたのだから、う〜ん贅沢プレミアム。


 しかし、それを境に、私は寒さに対してやや強くなった。人間、自分の慣れ親しんだワンランク上のステージを体験すると強くなれるものである。例えば、日本代表のサッカー選手なども、海外でプレーすることでますます逞しく変貌したりするその姿が眩しかったりする。それ(サッカー中心の価値観)。


 この冬もその寒さが話題になったものだが、私としては実にふてぶてしい態度で乗り越えた模様である。大体、冬には冬の味覚が堪らなかったりするし、悪いことばかりでもなかろう(食中心の価値観)。


 従来、寒いと楽器弾く指が、ただでさえ動かないものがますます上手く動かなかったり、隙間風の侵入になすすべもない老朽家屋である我が家の我が書斎、すなわち通称「悪趣味の部屋」でのオリジナルサウンドの創作活動(失笑)に支障を来したりもした。そうした点は冬を積極的に評価する気を減退させて余りあるところだね(芸術中心の価値観)。


 だが、そんな中で寒さに対してやや強くなった私は、この冬、一貫して我が書斎にて楽器を弾いたものだ。オリジナルサウンドの創作活動(重ねて失笑)である。この冬の思い出といえば、そんなところである。この日報が音楽日誌なのだと改めてしみじみ認識するに至るね。


 ちなみに真冬に韓国行った際、帰路の空港の電光表示によるとモンゴルのウランバートルは日中マイナス28度とかだったので、更にワンランク上(下?)、逞しく変貌して眩しかったりしちゃいたい方はウランバートルを目指すと凄く良いと思う。冬に。雪山の頂上の吹きっさらしのような都市だな。


 ちなみにグーグルマップでウランバートル付近を見ると、ゲル(モンゴル人のテント)の丸屋根ばかりだぜ。至近に固定式の家屋があるのに同じ敷地内にゲルと言う感じで、遊牧の血筋のこだわりと申しましょうか、機会があったらお邪魔したいぜ。その固定式と移動式との間に、どんなジレンマがあるのか、何らかの社会問題が顕在化しているのか、はたまた何も考えていないのか、一度、じっくりとお話をお伺いしたいものである。



大きな地図で見る


 ちなみに最近はこんな感じらしい。きっと随分暖かくはなったのだろう。そして一体、夏の気候も気掛かりである。

 

メロディカ


 アイス、今が旬だね!と思っていたら、既に真冬だったし。あけましておめでとうございますとしか言いようがない。


 楽器を買った。まぁ、よくある話である。が、しかし、私にしては珍しい展開である。鍵盤ハーモニカというものの新品をどす〜んと購入したのであるが、ふっ、何をいっておるのかね。私は鍵盤ハーモニカなど既に所有しているのである。スズキのメロディオンという奴。音が気に入っている。これね、通っていたハイスクールからお借りしたまま25年くらい手もとにある状態ね。しかもお借りしたのはハイスクール卒業後ね。


 既に所有しておる楽器がなんでもう一個必要なのか!


 そんな金があるなら、違う楽器に挑め!


 ところがこれがプロブレムなのです。数年前から気になっていたのだが、音が狂っているですよ。ところどころの大事な音が。そもそも持っている楽器でチューニングがしっかり合う楽器というのが数点しかないという環境で演奏を楽しんでいるものだが、いよいよ度を超した逸脱っぷりが、所蔵している楽器を買い足すという、かつてない行動へと私を駆り立てたのである。



 スズキのメロディオンが好きなのだからスズキのメロディオンにすれば良いのだが、どうせなら違うものをチョイスしてしまうのが私です。ホーナーのメロディカ学生用にしてみました。お手軽プライスでカラーリングもちゃちなレッドということで、なんだか大満足で吹いてみると、お、新品というのは何だか肺活量が必要だね、ちょっと鍛えねーといけねーな、という感じです。


 今後もこのように所蔵している楽器が劣化し、買い替え、買い足しを要求されていくのでしょうか。しかし、この足で赴いた世界の各地で巡り会った楽器の類など、それは、そう簡単にはいかぬであろう。


 で、なんでこんなやる気の起こらない冬季に、スズキの鍵盤ハーモニカのピッチに悩み、ホーナーの鍵盤ハーモニカを購入しているのかというと、曲を作っている。作り続けている。俺しか知らない曲が7と1/2曲くらいある。今年はそれらをどどーんと、春くらいまでにはどうにかしなければ。どうにかしたいのである。

 アイス、今が旬だねっ!


 一口にアイスと言っても、かき氷的なガリっとした食感の氷菓、シャーベット的なサラッとした食感の氷菓、さっぱり味から濃厚味まで幅広いアイスクリームなどと、そのヴァリエーションは多彩である。が、まぁ、想像するに、夏には氷タイプのアイスの売上がぐんぐんウナギ登りだろうね。


 ところで、微妙な味わいを醸し出すアイスとして、忘れてはならないのは井村屋のあずきバーだと思うのだ。氷菓ではあるが、粒あずきの質感と、ほんのり甘さ&塩スウィーツとまではいかないまでもどうも微妙に塩味、という立体的な味わいが、なんとなく、今の季節に抜群だよね。井村屋のあずきバーうめぇ!


 ということで、その日もなんだかアイスが食いたくなったので井村屋のあずきバーをいただくことにした。


 さて、井村屋のあずきバーの特色であるが、食ったことのある方には周知であろうが、硬い。非常に硬い。概して歯が立たないほど硬いのである。しかし、私の嗜好としては、柔くなったり溶けだしたアイスというものが今一つ好みではない。


 甘味処でかき氷など食う際も、氷が溶けて器の底にじゃぶじゃぶ溜まるような事態は最も避けねばならぬパターンであるため、猛ダッシュで食う。かき氷を猛ダッシュで食うと、目玉が痛くなりませんか。しかし、そのような目玉の痛み・目玉の疼きに呻いておっては、かき氷がじゃぶじゃぶしたシロップ水になってしまうため、両目を片一方の手で押さえつつ、もう一方の手に握った匙で、かき氷をガッシュガッシュと突き崩し、お口へ運ぶその営みを、一瞬たりとて緩めてはならぬのだ。そして猛ダッシュで食い終えた後、甘味処には目玉を押さえ頭を抱える男が一人。一種の夏の荒行のようなものと言えるだろうな。


 おっと、井村屋のあずきバーの話題に戻ろう。その硬さ、歯折れそうな程の凶悪さなのであるが、柔くしてから食うなどと言う戦略は私にはない。早速いただきます。一口目、それはもう歯立たないですよ。犬歯など駆使してあずきバーの先端を崩していきますよ。二口目・三口目と、徐々に攻略の糸口を確立し、そろそろじっくりと味わいましょうか、という態勢に入った矢先、バキ、と口中で音がした。


 これはいかんよな。


 舌先で前歯を確認する。何かが足りない。舌先で口中に足りない何かを捜索する。何かがある。つまり、以上の論点から帰納的に導かれる解は、「前歯が欠けた」である。ガーン。演繹的に導いたとしてもやっぱり同じ解だよね。ガーンガーン。


 いやいや、待ちたまえ。


 私は一部の前歯表面に化粧的な詰め物をしているではないか。そしてそれを施していたときに歯科医はこう言った。


「一生は持ちません。ある日、何の前触れもなく外れます。ショックでしょうね。その時は電話して!」


 とにかく気が動転した私は即座に歯科(いつでもボサノヴァが流れるボッサ歯科医院)に電話し、翌日はあいにく休業日だったため、翌々日の朝一、速攻で予約したのであった。


 ちなみに、残りのあずきバーはボッサ歯科に電話しながら食い切った。犬歯で。美味かった。


 私は口中から欠けた歯のパーツを回収していた。そういう、自分の身体から出たものを眺めることが好きではない。うんことか。しかし、おそるおそる眺めてみた。それは明らかに、人工的な工芸品ちっくな佇まいをしていた。


 ん?


 こ、これは、挿し歯だ。挿し歯の一部だ。


 私は前歯一本が挿し歯なのだ。その個所を舌先で確認してみる。歯の裏側は残っていて、表面が欠けている。それだ。動転していてすぐに気付かなかったぜ。しかし、挿し歯ってすっぽり被さっているものだと思っていたら、前後で張り合わせなのか?知らんかった。


 ちなみに私は笑っても前歯が露出することのない口をしている。かなり大笑いしていてもシニカルな笑いをしているように人には見えるらしい。嫌な奴だ。しかし、こんな時には幸いだね。前歯が大事になっていても、恐らく誰にも気付かれず、治療の朝を迎えることができた。


 そしてボッサ歯科にて、歯を前後、糊で貼り合わせて、はい完成。かんたーん。


 井村屋のあずきバー、これは訴訟大国USAなどでは間違いなく訴えられているよ、と思うよ。そして冬には井村屋のあんまんを購入してきてレンジでチンが過ぎると、燃えたぎる餡でお口を火傷するぜ(経験者談)。それも訴訟大国USAなどでは間違いなく訴えられているよ、と思うよ。まぁ、それでも私は井村屋を支持します。やはり柔いあずきバーはいかんと、今もそう思うですよ。

ギター道あれこれ


 ここしばらくギターなどを熱心に弾いてみている。じゃかじゃん。脳内イメージ通りに弾けぬ、小技も大技もきかない己の技術のなさに改めてどんよりとする。どよ〜ん。


 ま、考えてみれば色々な生き方があったとは思う。もちろん「俺はギターの小技使いになるぜ」というような決意のもと、日々精進を重ねる生き方もあったろう。一日一歩、三日で三歩の進歩があれば、例え三歩進んで二歩下がっていたとしても、今頃はワンツーパンチの使い手くらいにはとっくになっていたはずだ(365歩のマーチ by 水前寺清子より)。


 しかし、私は私がまだナウなヤングだった時代に「ふっ、俺のプレイに技術はいらないさ」と、強いて言えば多少パンク的な、根拠のない決意をしてしまったものだから、もう、それはもう、練習というものをさっぱりしなかったものです。うん、した覚えないね。本当に。


 その当時、目指していたものはヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向だったですが(美と前衛ね)、時を経て、おっさんになって、ヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向から、完全に、全面的に、落伍し、脱落し、敗退し、撤退し、遁走した段になって気付くです。テクが、テクニックが、ねぇ。テクが、テクニックが、欲しい。せめて基本がしっかりしていれば話は別だろうが、そこがすべて自己流である。お話にならん。少なくとも私がまだナウなヤングだった時代にyoutubeでもあればなぁ、それ見てギターの基本とか、ちっとは学べたかもしれんなぁ。


 ということで、こんな風に弾けていたら人生楽しいぞ、と思ったプレイです。



Hindi Zahra


 こういうプレイが好きだ。さらっとこんな感じで弾きこなせれば理想形である。こんな風に弾きたいのである。このビデオの演奏は歌もギターもとても良いと思うのですけれど、アルバムは極めて真っ当過ぎてあんまりおもしろくなかった。まぁ、それは私の価値観である。ちなみにアルバムのレーベルは名門Blue Note。うん。私には縁のない世界かもしれない。


 おっと、Hindi Zahraは歌っているねーちゃんの名で、ギター弾いているにーちゃんの名は知らぬ。多分、そういう無関心極まりない態度も上達につながらない遠因かもしれない。しかし、男の名になど興味がないのだから如何ともしがたい。



Zaz


 アルバムが出ていて、タワーレコードのワールド棚でも昨今プッシュされておった。ファンシーでお上品でないフランスものは好きだね。アルバムの何曲か、ビデオにも映るマカフェリ・ギターが響き渡るような曲が、とりわけとてもよい。エレキやピアノが伴奏するような曲も入っているが、ガクっとつまらなくなる。普通で。まぁ、それは私の価値観ではある。


 こういうプレイもイーネ。マカフェリ・ギターであるが、マヌーシュ・スウィング、つまりロマ系のジャズ系の音楽で活躍するギターですね。一度奏でてみたいものである。どんなものか。私が自己流の果てのプレイで挑んだとしても、音としてはこういう音が鳴るものなのか。鳴るんだろうな。音は。ちなみに、普通のギターで挑んでも、決してこういう音は出ません。少なくとも、私のプレイでは。


 おっと、Zazは歌っているねーちゃんの名(通称?愛称?)で、ギター弾いているにーちゃんの名は当然のように知らぬ。あ、ダブルベースのにーちゃんの名もね。こういう無関心極まりない態度が上達につながらない遠因と、確信に近いものを感じだしているが、男の名になど、本当に興味がないのだから私に出来ることはない。


 ということで、私は私で自己流の果ての果てを漂流し続けるしかあるまい。ナウなヤングだった時代にヴィジュアル&パフォーマンス重視な方向にさえ行かなければなぁ。その時はこりゃイケル!と思っちゃったんだよなぁ。今、そっち方面に行っちゃってるナウなヤングさんは、おっさん化後の出口戦略もしっかりと描くべきだね。

 砂丘 バス


 「砂丘 バス」を検索してみればよい。鳥取砂丘へのアクセス方法が見つかるだろう。しかし、私が求めているのは観光情報ではない。但し鳥取砂丘へは行ってみたい。行ったことねーし。


 ある朝


「ねぇ、君、今日僕宛の荷物が届くはずだから受け取っておいてくれたまえ」
「わかったわ」


 その夜


「あなた、荷物受けとっておいたわよ。ところであなた。」
「なんだい、君」
「送り状に書いてある砂丘バスって、何なの?」
「・・・」


 例えば、演劇であるならば、劇に合わせて背景や小道具をこしらえるだろう。絵画であるならば、カンバスや、絵具を揃えなければならない。左様。素人音楽家とて同様である。曲制作に必要な道具を調達しなければならない。そこで私は一曲ごとに、私の美意識に従い、それに最善な構成・フォーメーションで曲を制作しているのである。詳しくは以下略。


 そんな私が目下の制作物に必要不可欠なものとして導入にゴーサインを下したのが「砂丘バス」なのである。


 砂丘 バス ずん。




 名門鈴木楽器製作のベース大正琴である。大正琴だというのに長さが1メートルくらいもありやがる。またお部屋が狭くなった。奥深き大正琴の世界。


 アンサンブルの低音部を何によって担うか。私の20年に及ぶ苦闘の道のりである。「普通にベース弾きゃいいじゃん」という声は、私の脳内にもこだまし続けているのであるが、それはその道に打ち込んでいる人がその道をとことん追求すればよいのである。私がアンサンブルの低音部に求めるものは、少し観念的なものなんだな。詳しくは以下略。


 さて、これ、大正琴アンサンブルの低音部を担う存在らしい。太弦開放はギターの6弦開放Eより長6度低いGである。多少、ボンボンした低音も出る感じね。大正琴で低音、変な感じだ。それこそ、アンサンブルの中で誰か一人がエレキベースでも弾けば良いと思うのだが、大正琴アンサンブラー達にとって、ベースまで大正琴で弾き切ることが、アンサンブルにとって観念的に不可欠な要素であろうことは、この砂丘バスの作り込まれた美しいフォルムを眺めれば容易に想像できるというものだろう。


 で、私は大正琴アンサンブル曲を制作しようとしている訳でもないのだが、いろいろ調査の結果、これではないかと。で、丁度そのタイミングで出物を発見したと。


 少し触って弾いてみて気付いたが、ボタンとボタンの間隔が広くて、結構弾くの大変かもしれん。普通のベースの方がストレートで回りくどくなく、それでいてより幅広い表現力で弾けそうな気が、当然のようにもの凄くするのだが、俺の選んだこの道が、曲がり道だとでも言うのかい、砂丘バスよ、轟け。ちなみにエレキベース大正琴です。