ガルシア=マルケスを読みたくなった

「COURRIER JAPON」3.01/2007 通巻30号(講談社)にガブリエル・ガルシア=マルケスの生家を訪ねるルポが掲載されている。


 ルポ自体は、コロンビアのカリブ海に面した地方にあるマルケスの生まれた町アラカタカを訪れ、彼の生家(現在は彼の博物館になっている)、何人かの町人の証言、何枚かの魅力的な写真によって、マルケスの文学、特に『百年の孤独』が生まれる揺籃となったであろう彼の故郷の模様を簡単に紹介している。


 マルケスの文学について、この浅薄者が綴る、この浮薄の場で、あれこれ書こうというものではない。ただ、マルケスの作品の中に現れる魔術的、超現実的で夢のようでありながら、かつ説得力をもったリアリティのあるイメージとして迫ってくる摩訶不思議な世界が、その町で過ごした中で少なからず醸成されたものであろうと想像すると興味深く関心が湧きおこる。


 マルケスの作品を初めて読んだのは22歳ぐらいのことだったと思う。確か姉の書棚にあった文庫本の『エレンディラ』だった。


 まるで目眩がした。人知を超えた熱帯の原色のイメージや、法螺話か、それにしても誇張された話にしか聞こえないだろうラテン世界的なエピソードが、伏流のようになって破局的な、不条理な結末に噴出する。


 すっかり感化され、学校の図書館でマルケスの作品を始め、ラテン・アメリカの作家の作品を幾つも読んだものだ。


 同じころ、日本やアメリカ、イギリス以外の音楽も聴くようになったし、映画にしても食い物にしても自分の国と西欧以外のものにもふれるようになっていったのだから、それがすべて『エレンディラ』一冊によって促されたわけではないにせよ、一つの契機にはなったのだろう。その頃の自分は新しい刺激に浮き立つような日々であったように記憶している。ラム酒と葉巻で酩酊しているような東京ラテンな感じだね。っと、葉巻は経済的事情から吸えなかったが。※今も吸いません。


 興味深いエピソードが綴られている。


 マルケス博物館の館長曰く、コロンビアのカリブ地方には自分の過去を辿る者は早世するという言い伝えがあるとかで、迷信深いガルシア=マルケスはこの町に帰ってきたがらないのだと。


 ルポを眺めていて、それがトリガーとなりラテン・アメリカ文学に触れたころのことや、学校の図書館や、その界隈の道のりやら何やら、少し懐かしく感じながら「あぁ『百年の孤独』とか読み返したいな」などと考えていたのだが冷水を浴びせられた。


 前へ進むのだ。


百年の孤独』を今の自分の眼で「前向きに」読み返すのなら構わないだろう?


エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)