私生活の一端を公開する


 さて。
 iPhoneで私の生活は随分変化を遂げている。それはもう激変。一体、どれほどの激変を見せているのかレポートしてみよう。みようじゃないか。



 私は物体を視認したときに、それが音の出る道具になるものか否かによってカテゴリー分けをするという認識パターンを持っている。そういう文化が私の中にある訳だ。音世界のフィールドワーカーなどというとカッコイイが、まぁ、音バカである。


 したがって「ん、こいつはコンと叩けばカーンとはねかえってくるゾ」というようなものは私にとっては極めて有用なもの。「この野郎はキラキラ輝いていやがるが音は響かねーな」というようなものはほぼ無価値なものなわけだ。それがゴールドだろうとダイヤだろうとね。はっはっは。頼む、誰か俺に金やダイヤの価値をわからせてくれ。黙って俺の家の前に山積みにしていってくれるだけでそれでいい。



 私は、そんな俺であるわけですから、例えば筒状の物体などが視界に入ると、目が「ラン」と輝くのである。う〜ん、筒はいい。やっぱり筒だよ。叩いても吹いても振り回しても語りかけても、俺の熱いパッションに何らかのリアクションを必ず返してくれる一族である。筒は。


 というわけで、筒に唇をそっとよせ、「ひゅる〜」と吹いてみるとしよう。これまでの旧型の俺は、その行為に満足し、ひゅる〜っと発せられた音が、ほんの束の間の後に消えてしまうことに、宗教にも似た感慨を感じてきた訳だ。音というのは発せられ消えていくのだよ。無常のことよのう。


 ところがですよ!


 iPhoneを持っていると(=新型の俺)、その無常を記録できることにハタと気付いた訳です。録音できるですよ。


 まぁ、事情通でない連中は「そんなもん、別に録音機もってりゃできることじゃん」などと思われるかもしれないが、例えば勤務中や散策中に録音機を持っていることの怪しさを思いいたしてみればよろしい。iPhoneというものは、あくまでも電話であるというところが、その怪しさからフリーになれる盲点・白昼の死角な訳である。大丈夫。世間はiPhoneを単なる平たい電話だと思っていますよ。


 私は以前、ある秋のこと、その辺の路傍で録音用ウォークマンを手に持ち、かなり前かがみで歩きながら、落ち葉を踏む音をカサカサ録音していたら、背後に音もなく、物凄く不可思議そうな表情をしたガールが突っ立っておって、うわ、びっくりしたぜ、そして咄嗟に言い訳してしまったほどだ。


「よしっ、この仕事完了っ」


 どんな仕事じゃい。


 もしも、その時、iPhoneで録音していたなら、仮に同じ状況に追い込まれても電話をするふりをして立ち去れたはずである。ガールも間違いなく「あぁ、この人は電話の相手に枯れ葉サウンドを聞かせてあげていたのね、センスィティヴな自然派さん!」と納得したはずだ。してくれていたに違いないはずだ。



 おっと、話をひゅる〜っと吹いた筒の件に戻そう。さらに筒のフォトなどもパチリと撮ったりしておけば思い出作りも万全だ。


 というわけで、これからは更に堂々と音バカ道をまっしぐらに直進できるというものである。もはやこの音バカ道は右左折禁止・Uターン禁止の一本道であることを高らかに宣言したい。では記念に俺が吹いた水道のフレキ管の音を聞いてくれ。


1度ー5度ー8度ー5度ー1度:筒が織りなす自然倍音の世界を堪能の巻↓


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 こうした記録が月日とともに蓄積されていくかと思うと、エキサイティングな興奮を覚えます。私は。共感してくださる方、いやー実は俺もなんだよ、などという方がいらっしゃったなら、一度、じっくりお話をお伺いしたいものです。