足元から始まる新年


 新年である。


 さて、これは趣味の日報であるので、趣味の事ばかり綴ろう。


 昨年も趣味活動を激しく展開したのだが、今一つ自分の中で不発に終わった点がある。それが、もう何と言っても足元ループマシンの導入の件である。この辺参照。


 足元ループマシンとは、演奏の録音と、録音した演奏の繰り返し再生を足元ペダルで操作する道具である。今演奏しているそのままを録音し、録音したものをすぐさま繰り返し再生し、それに被せて生演奏で変化をつけ、更に先ほどの録音に生演奏をオーバーダビングしていく、というように、熟達すると一人合奏やら、一人ハーモニーやら、できてしまうのである。


 で、昨年、私が導入したのはBOSSのRC-50という、それはもう、何と申しましょうか、凄いやつなのである。3トラック個別に録音・操作ができ、かなり複雑なことがこなせる。


 まぁ、それほど複雑なことがこなせる必要もないのだが、機能的には大変に満足のいくものである。で、問題はその機能を活かそうとすると、ややこしいことになる点なのである。


 3トラックあるのだから、ギターはギターで一つのトラック、声は声で一つのトラック、リズム系はリズム系で一つのトラック、なんてことは軽くできるのだが、その為には、それだけ配線しなければなるまい。それが問題なのである。

  • ミキサーにマイクを差す。
  • ミキサーのAUX端子(SUB OUTでもよいが)からRC-50へマイクの音を送る。
  • RC-50でそれを受け、ループ音を再びミキサーへ送り、生音とブレンドする。


 などということをやっていると、ごちゃっとした配線が床を這う。エフェクターをつないだり、フットスイッチや、エクスプレッションペダルを足したり、マイクも複数つなげたりするので、それに伴い配線が床を覆っていく。


 私は、こうした配線を眺めていると気分が悪くなるのである。コードの行く先を眺めていると、まるで迷路へ迷い込んでしまったかのような、目まい性のものを感じる。嫌な感じだ。


 配線や電力から自由でいたくて生楽器にのめりこんでいった過去がある俺が、生楽器の可能性を追求するあまり、愚かにも再びその道へ足を踏み入れてしまったようだ。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ。馬鹿の俺だ。


 放置しっぱなしだとお部屋の床をコードが覆い、いちいち片付けると、セッティングの度にコードを差したり抜いたり束ねたり伸ばしたり、机の下にもぐりこんだり、棚の裏に腕を突っ込んだり、もう、大変なのである。


 そして、大変なのは何も配線だけではない。私は昔っから足元操作が苦手なのだ。足に気を取られると手を間違えるのだな。にも拘らず、足元にはペダルだらけだ。生演奏の可能性を追求するあまり、愚かにも失敗確率の高率な道へ足を踏み入れてしまったようだ。馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ。馬鹿の俺だ。


 更に基本的なことに、一曲をきちんと弾き切るには、常に一曲をきちんと弾き切れるようになるまで練習しなければなるまい。つまり手も。うわ、く、苦しいぜ。継続して一つの曲を練習し続け、能力を維持し続けるということが。俺には。


 配線の渦の中を這い回り、足さばきの妙技を身につけ、レパートリィを手に刻み込む。ときどき歌う。おお、なんと果てしない道のり。その先に何があるというのか、趣味人よ。


 つまり、今年も馬鹿の王を目指して参ります。よろしくお願い申し上げます。