SOREKARA

 

 散らかった部屋を片付ける。

 

 それぞれのものを所定の位置へ。所定の位置のないものはとにかく収まりのよい場所へ。

 

 それなりに広い空間が生まれる。あーすっきり。

 

 それが、この日報を前回書いた後に起こした行動である。それから私は外国語の独習と、読書を始めた。一応、自分の人生の理想に少しでも近づこうかと行動を起こしたわけだ。結構なお歳の割に。


 予定ではそれから歳月の流れた現在、私は、かーなり優雅で愉快な知的生活を絶賛謳歌している筈だったが、少なくともそうした状況に到達している実感はない。退屈はしていないが。

 

 その間、いくつもの外国語を独習した。いくつも、という欲張りで移り気な態度がいけないのかもしれないが、目指す理想の人生像がそーなんだからどーしようもない。

 

 ずっと続けているのはフランス語だ。本読みたくてやっている。楽しいっちゃ楽しいが、ペーパーバック一冊読むのに辞書をひきつつ(iPhoneでね)一月くらいかかっちゃったりするので苦しいっちゃ苦しい。
 パトリック・モディアノのRue Des Boutiques Obscures(『暗いブティック通り』)を散々苦心しながら一月くらいかけて読んだのち、日本語訳を買って読んだところ一日で読み終わった日にはさすがに複雑な心境になったものだ。人によってはそれを「徒労」と呼ぶであろう。まぁ、感動が深まった、としてよしとしよう。

 

 ロシア語も随分と長い。長くコツコツと続けている。ロシア語メディアの記事なんか読みたいな、なーんて野望を持って始めた訳だったが浅はかだった。浅はかの極みであった。外国語の学習で苦しみたいって人にはロシア語を勧めるんだナ。ぼかぁ。まぁ、「私は猫を飼っています」くらいのことは言えるのでロシア旅行の際には猫好きとの会話には十分役立つだろう。飼ってねーけど。

 

 スペイン語もやったYO!動詞の活用が並じゃねーぜ。
 動詞の活用形が主語人称を明示していることにより主語を省略しても表現が成り立つという大胆な構文を前にして、まず主語を探してしまう自分がいるのよ。主語どこ行った!とね。で、読みましたよ。ガルシア=マルケスとか。原書で。横に日本語訳の文庫を置いて眺めながら。

 

 あとはトルコ語とか、イタリア語とか、ポルトガル語とか、アラビア語とか、アイヌ語とか、ドイツ語とか、あ、英語とかも、やったよね~。そのうちのいくつかでは「私は犬を飼っていません」くらいのことは表現できそうなので、現場で使うことになったら意思の疎通にはそれなりに役立ちそうだよね。実際飼ってないしね。こんな否定の会話はずみそうにないけどね。

 

 そう。


 いつか現場に行こうと思って、一つずつ準備しているですよ。まだまだバルカンやコーカサスインドシナの学んでみたい言語がいくつもある。それはそこに行ってみたいということを意味してもいる。

 

 いい気なもんだが、物見遊山が可能な世界が取り戻されることを望む。その日、学んだ言葉で喜びや悲しみを聞き、私の気持ちも伝えられたなら、ああ、なんていいのだろうな。

 

Rue Des Boutiques Obscures (Folio)

Rue Des Boutiques Obscures (Folio)

  • 作者:Modiano, Patrick
  • 発売日: 1982/06/01
  • メディア: マスマーケット
 

 

 

暗いブティック通り

暗いブティック通り

 

 

 

Los Funerales De Mama Grande

Los Funerales De Mama Grande