Charlotte Gainsbourg 『5:55』





歌唱:Charlotte Gainsbourg
曲と演奏:Air (エール。フランスのデュオ、聴いたことありませんでした)
プロデュース:Nigel Godrich (Radioheadなどのプロデューサーだそうです。知りませんでした)


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 20年ぶりのレコードである。別に彼女の場合、本職が女優業なので20年間ぶらぶらしていたというわけでは勿論ない。


 彼女も30代半ばで、大女優というわけではなく、可愛く冴えた女の子としてガーリーなカルチャーを牽引する存在でもない。ソフィー・マルソーイザベル・アジャーニのようにギラギラと野心的にも見えず、質のよい仕事を選びながら生きているように見える。その姿は自然体で、だが、不貞腐れたように見える表情も、困ったような笑顔も、ボソボソ喋る唇も、昔と変わりなくやはり可憐だ、と俺は思う。


 どうしたきっかけで20年ぶりにレコードを吹き込む気になったのか。


 アルバム全体のトーンは、落ち着いた、シックで品の良いもので、親父(セルジュ・ゲンズブール)によってこの世に送り込まれた20年前のファーストの、ダサさとアッパーさとセンチメンタルが香気を漂わす独特の雰囲気とは全く違う。囁き声で歌う様は健在だが、20年前の自分とも、囁き声で歌うという芸を極限にまで高めた親父とお袋(ジェーン・バーキン)の元夫婦コンビの、その至芸ともまた違う。殺意のない囁きである。まぁ、これは囁き声で死んだことのない御仁には皆目見当がつかないことではあろうが。


 プロデュースも、親父のように声の力でリスナーを殺戮するという仕掛けや、べらぼうな曲・駄曲・愚曲・痴曲・恥曲・奇曲を配するというような仕掛けもなく、極めて淡々と佳曲・よい演奏・よい歌が、進行していく。シャルロットより曲や演奏が出過ぎることはなく、さりとてシャルロット自身ギラギラと前へ出るタイプではないので、調和の取れた印象を受ける。


 彼女独特のはにかみ屋さんの素振りは、ところどころにある。けれど戸惑っている感じはない。多くが英語で歌われ、彼女なりに力強く歌っているように思われる節もあるし、もしかしたらヤル気(歌う気&それなりに売る気)なんじゃないかと察せられる。女優として赤の他人の人生を演じ生きることの中に幸せを見出したのと同じように、短いポップ・ソングの中で歌によってその世界を表現することにも喜びを見出したのか。


 えらいことだ。


 彼女なら、SAYAKAが2代目松田聖子を襲名するのとは違い(しねーよ)、2代目ジェーン・バーキンを襲名することに世間の誰一人異を唱えないだろう。それに、伏し目がちにうつむく彼女の横顔にはセルジュ・ゲンズブールの面影が宿っているじゃないか。そんな彼女がヤル気になったというのならこれは色めきだってしまう。が、なにしろ20年ぶり、というような大仰さは微塵も感じないサウンドの立ち居振る舞いだ。自然で悲壮も疲労もないから、この調子で年に一枚くらいのペースでリリースしていっても違和感がないような雰囲気がある。そして、親を彷彿とさせるような調子は、あまりない。


 まったく、控えめなんだか大した堂々振りなんだかわからなくなってくるが、出演映画など見ても、きっとやりたい路線はしっかりあるのだろう。次作もあると見る。楽しみが増えた。それまでこの佳作を聴き込もう。好きに理屈もへったくれもあるか!というレベルなのかもしれません。もう。