冬の衣装


 今日、今年初めて毛糸のカーディガンに袖を通してしまった。寒がり屋さんだ。これから春まで、およそ一年の半分を私は毛糸の衣服なしで過ごすことはできない。


 防寒衣服の素材としては、革、毛皮、羽毛、フリースなどもろもろあるわけだが、私は毛糸が好きだ。編み編みなので模様も楽しめるし、毛糸の衣服で厚着して、もこもこに膨れ上がった北国の女性などを見かけると、ちょっと可愛いな、などと思ったりもする。

 
 このように、肌などを惜しげもなく晒した女性でなく、衣服でまるまるくるまれた女性に魅力を感じるというところが、大人の男の嗜みであり、奥ゆかしいエロスの告白であるとも言えよう。実におそろしいことだ。


 さて、そんな私のヰタ・セクスアリスなど書きたいわけではない。振り返ってみると、子供の頃および若造の頃は薄着だったよなぁ、ということです。


 私の冬はコタツに首まで潜り込んで(場合によっては頭髪のみ外部に露出)、うだうだ過ごす生態に、人生を通じて変化はない。しかし、寒風吹きすさぶ中、外出時の着衣量を考えてみると、昔はよくそんな薄着で耐えられたな、と思わずにいられなくなる。


 小学校の同級生に、年中、半袖短パンで過ごしている少年(当時)がいた。私は彼の思い出というと、今となってはその姿しか思い出せない。とはいえ、彼以外の同級生については何の記憶もなかったりする薄情を3D化したかのような野郎である私であるから、リアルに実在した半袖短パン少年のインパクトはなかなかのものであったと言えよう。


 私も彼にあやかって、などと目論んだことなど無論ない。ありません。しかし、私も今と比べれば明らかに薄着で過ごしていたと思うのです。シャツ一丁にジャージとか、もう少し成長してシャツ一丁に学生服にヤッケとか、少しばかり大人になってシャツ一丁にジャケットにコートとか。これが現状の冬季標準仕様で行くと、長袖のシャツ、とっくりのセーター、毛糸の上着、更には雪山へ向かうような防寒着、ももひき・ステテコ類、靴下二枚重ね、マフラー、耳まで収まる帽子などなど、着こまねばくじけてしまう。くてっと。


 それにしても、この日本列島の、東北地方や長野県などの寒冷地において、伝統的に防寒衣服やら耐寒住居などが発展してこなかったことに私は強い疑問を感じる。まぁ、人類学の世界では気候が必ずしも物質文化を規定するわけではないよ、人類の文化は多様だよ、ということが半ばセオリーだったと記憶しているので、木と紙でできた住居で暖は囲炉裏だけ、はんてんを纏ってひたすら我慢する、という日本列島の伝統的寒冷地耐寒スタイルは、それの裏付け例であるとも言えそうだ。そんな暮らし、もう無理でーす。


 このまま厚着を重ねていくと、10年後くらいには、いよいよ着ぐるみなどに袖を通しそうな嫌な予感がする。


 昔、国立民族学博物館アイヌ文化の展示で、鮭の皮で作られたコートを見たが、あれは格好よかったな。あまり暖かそうには見えなかったが。


http://www.welcome.city.sapporo.jp/pirka/cepur/cepur01.jpg


サッポロピリカコタンより


 おしゃれ以前に生命を維持せねば、と毎冬、寒さに立ち向かう俺だが、こうした粋ないでたちを今一度、思い起こしたい気もするのである。