カルミナ・ブラーナ

蝶を追って 森の中へ



 5月24日、移動式音楽班のホームページに「蝶を追って 森の中へ」という歌をアップロードした。よかったらお聴きください。


移動式音楽班 音の世界「蝶を追って 森の中へ」


 曲中、挿入歌的に『カルミナ・ブラーナ』として伝わる中世ドイツの伝承曲集の一節を導入している。メロディーをそのまま歌ってはいないが、そういう面ではカバー曲ということになろう。


 カルミナ・ブラーナ Carmina Burana は12世紀から13世紀頃、ドイツあたりの遍歴の大学生、聖職者らによって当時の国際語であり教養語でもあったラテン語で歌われた歌曲の伝承集である。
 学生時代、たしか阿部謹也の文章でそれを知ったと記憶している(「制度化されない音楽」『岩波講座 日本の音楽・アジアの音楽 第2巻 成立と展開』岩波書店 1988年)。内容は風刺、色恋、飲んだくれ、宗教劇詩などに大別されるようだが、文中紹介されていた、遂に娘と結ばれる愛の喜びを高らかに歌い上げた、その恋愛詩に、随分と情熱的でエロティックな内容なのだね、と思ったものだ。
 他にも聖職者の愛とか同性愛とか不倫とか、そんな内容も盛りだくさんらしい。
 こういう内容を歌う詩人というと、現代ではルー・リードとか思いつく。ダークだ。


 詩に関して中世の人は随分とおおらかかだったのか、はたまた遍歴する教養人たちの自由な気概の産物か。


 そういうことなら是非、その世界を音でも聴かねばと、図書館の視聴覚室から借りた2枚組のレコード(ルネサンス合奏団 カルミナ・ブラーナ)からは、壷太鼓だの、笛だのを伴奏に、ヨーロッパの荘厳な古典音楽とは相当異なって聴こえる音楽が流れてきた。


 ただ、レコードの曲は、音楽としては中央ヨーロッパの民謡、という雰囲気だったし、歌唱もベルカント的な唱法だったりで、もっと粗野で野卑で、情熱的なエロスを期待していた馬鹿な若者としては、ちと、行儀良く収まっている風に受け取られたな。折り目正しい半ズボンに白いシャツって感じだ。飲み屋でぐでんぐでんで、大声でがなりたてたはずだろうに、川べりの土手に座ってタンポポの綿毛をふぅっと吹くような、そんな超然とした印象すら受けた。


 だがまぁ、どちらにしてもその情熱的な恋愛詩ときたら、詩としての技巧は勿論あるのだろうけれど、結局、頭の中にあることは娘のスカートの中、ということなわけで、太い腕でガバっとめくるか、細い腕でそうっとめくるかの違いしかないようにも私には思える。


 翻って、我々の歴史的な音楽はどうであるか。
 民衆の側の音楽となれば「民謡」と総称される音楽になるだろう。どうも、労働とか、自然とか、そんなものばかりを主題にした民謡が多い気がする。
 しかし、冷静に振り返ると、このド助平民族が、そんなことで収まるはずがないわけで、おそらく、近代化と共に色恋沙汰を歌ったものや、猥歌の類は何者かによってアンダーグラウンドに追いやられたのではないかと推察される。で、色恋抜きの民謡ばかり教え込まれたのではなかろうか。子供扱いだぜ。
 おかげで、私はそのバックグラウンドに、猥歌としての日本民謡を持たない。
 つまらないなぁ。不幸だなぁ。
 その不幸を胸に、堂々と猥談に精を出すことにする。