唐辛子


 日本人一人あたりの唐辛子消費量というのは世界的にみてかなり低いらしい。反対に多そうなのは、朝鮮人、タイ人、インド亜大陸とランカー島の人々、メキシコ人など、順番はわからないが、その辺りが何となく思いつく。確かにどう考えてもこうした人々には及ぶべくもないだろうな。その他、数多の民族・国民あれど、我々はそのどちら様方よりも唐辛子を消費していないのだろうか。


 唐辛子と同じようにニンニクの消費量も少ない、と聞いたことがある。
 ニンニクの消費量には日本国内でも地域差がありそうだ。高知とか多そう。
 同じように、もしかすると日本にも局地的に唐辛子を大量消費している地域・地区があるやもしれぬ。「激辛村」みたいな。行ってみてー。聞かぬが。


 伝統的に日本の料理は、刺激的な味覚とは、ちと違った道を歩んで来ているように思える。唐辛子,ニンニクに限らず、刺激的なスパイス、ハーブの類として、胡椒、山椒、ワサビ、生姜、ある種の大根、葱類などあるが、どれもあくまでも「薬味」「風味付け」的に、しかも割と控えめに使われていることを思うと、「君たち(あ、僕たちか)、辛さに真正面からぶつかっていってるとは言えないぞ」と申さねばなりますまい。


 かつて、民族学を学ぶ学生だった頃、先輩・同期生たちと朝鮮民族がキムチに大量の唐辛子を使用することについて語らったことがある。なぜ、唐辛子が必要なのかと。その中で提起された「陰陽五行説から」「腐敗防止・保存のため」「栄養的に」などという十分に科学的な根拠を私は支持しない。私の立場は「それがうまいと感じたから」(この問題とまじめに取り組んでいる方、気を悪くしないで下さい)だ。
 そうして、やがて民族学研究から落ちこぼれていったのである。私はね。余談だがね。


 さて、私はその立場のとおり、それがうまいと感じる側で、上述した唐辛子好きそうな民族のお料理などは、すべからく好物なのだ。タイの田舎町で「うちのは外国人にはマジで無理」と渋る店主を説得し作ってもらった、確かに「こりゃ無理」っていうようなトム・ヤム・クンとの2日がかりの死闘(事情はお察しください)。長旅から帰国後しばらくド貧乏の状態をしのぐため、安さにつられて買って帰ったマレーシアのインスタント・ラーメン(10食パック)の、食い物を超越した壮絶な辛さ他、美しい思い出も多い。


 思うに、カレーのように唐辛子に幾種ものスパイスや、肉・野菜などの具材を加えた料理は、唐辛子の辛さ以外の要素も感じることができ、痛いほどの辛さの中であろうとも、ちょっとだけ違うことを考える猶予が与えられている気がする。一方、具が少なく、汁っぽく、味付け=唐辛子、みたいなスタイルの料理こそ、爆発力・破壊力がマックスではなかろうか。


 そんな例として、かつて渋谷・道玄坂のWARUNG1(今もあるのかな?)というマレー・インドネシア料理屋兼バーみたいな店で食った「マッシュルーム・スープ」なる一品を、忘れようとしても思い出さずにはいられない。あっ、これは「健全」なマッシュルームのスープです。
 割と透き通った汁に健全なマッシュルームがプカプカ浮いているだけの一見、普通のスープだったが、食ったらストレートな唐辛子汁だったぜ。お口から喉、そして胃の腑へと激痛が一直線に走ったぜ。透明だったので油断したぜ。う〜ん、唐辛子の気持ちを大事にしたんだね。私だったらメニューにはこう載せたろう。
 「温かい唐辛子水溶液、健全なマッシュルームを浮かべて、反人類風」


 さて、何で唐辛子のことなんて書いているかというと、唐辛子を栽培しようと思い立ちまして。
 成った実は、青いうちに収穫して生で料理に使ったり、酢漬けにして瓶詰めにし、冬のあいだちょこちょこ食って楽しんだり。赤く熟してから収穫したのは乾燥保存しようっと。それでも、私の消費量なんて唐辛子好き民族からすれば笑止だろうな。