浅間追分

浅間追分



 6月29日、移動式音楽班のホームページに「浅間追分 assamā’ / finale」という歌をアップロードした。よかったらお聴きください。


移動式音楽班 音の世界「浅間追分 assamā’ / finale」


 そもそもこの曲は、友人の婚礼パーティ(2004年8月)でのライブ・ぱふぉーまんす用に構想された。私を含め4名で演奏されたその時の演目が、


一、浅間山麓での二人の出会い 大体そんなところで出会ってなかろう
二、回想シーン:夜の街を彷徨い歩く この辺、愛のすれ違いのシーンなの
三、浅間山&愛噴火 すれ違いを乗り越えた二人の絆は強まり、浅間山も祝って(激怒して)いるよ


 と、二人の愛の軌跡を、世阿弥が『花伝書』にて提唱している序(一)・破(二)・急(三)形式で勝手にでっちあげた妄想プログラムであり、その三が長野県東部の民謡「信濃追分」を巧みに(?)カヴァーしたこの曲だったわけです。まぁ、一、二、三、失笑ときて起承転結じゃん、という考え方もある。


備考1
 ステージでジャカスカ演奏していて、あんまり受けているようには見えなかったな。表現を変えると、ぜんぜん受けていないように見えたな(婉曲表現が社会の潤滑剤だということがわかる文例だ)。


備考2
 その年の秋、浅間山が何十年ぶりに噴火した。あれは俺達のせいだったのかもしれぬ、という引っ掛かりが心にある。言霊ってこえ〜、とその時は真剣に思ったものだ。


 長野県、浅間山麓の宿場町では、浅間山を主題にした民謡・歌謡が歌い継がれてきた。小諸馬子唄、小室節のような全国的によく知られた民謡もある。

小諸でてみりゃ浅間の山 今朝も三筋の煙立つ
小諸出ぬけて唐松※ゆけば 松の露やら涙やら
田舎田舎と都衆はいひど しなの良いのが小室節 (小室節)

小諸市内の唐松地区


 料亭とか遊郭とかでは替え歌も盛んに歌われたらしい。粋でいなせなものもあっただろうし、田吾作なものも、与太郎なものも、いろいろあっただろう。


 故郷の民謡をアレンジしたり、民謡風の曲を私自身が創造したりということは、私のやりたいテーマの上位にある。かなり長いこと。恋の歌などと並んで。
 というのも、土地のしがらみとか、家制度とか、のめりこみ型の恋愛とか、どろどろの中には、原初的で野蛮な煮えたぎるどろどろ成分が大量に含まれているのではないかと推察されるわけで、どろどろ成分多めの表現って抗えねえぞ、と、しちぃー派で、くーるで、あんまり汗をかかない体質の私であるがゆえ、嫌悪と憧憬の入り混じった感情を覚えるからなのです。