飲茶の構造
なんだかこのところ飲茶づいている。
複数週に渡って飲茶しているのだ。
別に、飲茶強化月間とかを己に課しているわけではないのですが。成り行きです。
飲茶。
言わずとしれた、点心をば食らいつつ、茶をガブ飲みする行為である。
人類が開拓した最も甘美なる行為の上位に必ずやランキングされるであろう、飲茶である。
さて、飲茶であるが、その行為の本質は、
- 茶を飲む
- なんかつまむ
という2点に帰結するだろう。
茶がコーラだろうとコーヒーだろうとビールだろうと、何だっていいじゃん、いーいじゃーん、という見解に対しては、筋金入りのティー・ドリンカーならば、これを全力で阻止せねばなるまい。なぜなら...明確な理由は見当たらない。感情的にだ。とにかく茶でなければダメ絶対。
「茶を飲む」という条件を満たしたとしても、つまみがあんまりヘヴィーなもの、例えば、丼物とかステーキとかの場合、食事に付随する茶という位置付けになってしまうのならば「飯を食う」というゾーンに突入してしまうのだろうから、それはもう本当に飲茶ではなーい。メシです。
元に戻る。
ということは、ティー・ドリンカーにとって、お茶のお供に煎餅をボリボリやるとか、茶を飲みつつスウィートなチョコを舐めるとか、あなた、お隣の斉藤さん(仮名)からスルメいただいたの、おぉ、それではお茶にスルメでちゃーするめー、わっはっは(凍死)、というような行為は、それすべて飲茶と言い得るわけだ。
例えば今。
世界の片隅でロシア人がサモワールで紅茶を沸かし、ジャムを舐めながら茶を飲み(それがロシアン・ティーの正しいいただき方らしいです)、あら、クッキーがあったわ、いただいちゃいましょう、んー、ハラショ。はい、それ飲茶。
茶が先かミルクが先かの英国には「アフタヌーン・ティー」なる習慣がある。昼下がり、インドやらセイロン(スリランカ)やらから輸入した紅茶を飲み、スコーンだのサンドイッチだのを食うのだということで、何のことはない、それも飲茶。
英国とも中国文化ともインド文化とも接点のあるビルマ(ミャンマー)。茶店でインド式のミルク・ティー(チャイ)を飲む。すると、テーブルには春巻きみたいなもの(カレー味)や、焼売みたいなもの(カレー味)、カナッペみたいなもの(カレー味)、サモサ(カレー味)などが小皿にちょこんと盛られて置かれているではないか。食うと食った分だけ金を支払うシステムなのだな。もう、これ完全に飲茶。
長野県のお茶の時間は緑茶に漬け物だ。野沢菜だ、沢庵だ、奈良漬けだと、自家製漬け物が欠かせない。地区の会合、仲間同士での旅行、なんのかんのと、必ず漬け物持参なのだ。飲食店での宴会などにも自家製漬け物を持ち込む輩もおるぞ。お店側も辟易しているに違いない。
この漬け物への情熱ぶりたるや、茶のつまみが漬け物なのか、漬け物のつまみが茶なのか判断に苦しむ程だ。が、それもまた飲茶なり。
ところで、このところ飲茶づいているという冒頭の下りは、もちろん中華式の点心をつまみに中国茶をガブガブ飲んだ、ということです。
- 発表!私の愛する点心ベスト10
- 美味!究極の中国茶の世界
というような話は、またいつか多いに語らおうではありませんか。
ジャムだ、スコーンだ、カレーだ、漬け物だと、味覚の記憶が混濁してきましたから。