浅間山麓をドライヴする


 先日、本家のサイトにアップロードした「浅間追分 assamā’ / finale」であるが、ミキシングを変えて、GarageBand Users Clubでも公開させていただきました(7月5日)。


GarageBand Users Club「浅間追分 assamā’ / finale」


 よろしかったら、そちらもどうぞ。


 さて、唐突ではあるが浅間山麓をドライヴしてみよう。
 冬は全てが枯れ果て殺伐とした光景が広がっているが夏は緑だ。
 朝、ぶるる〜っと車を走らせる。音楽などもかけよう。北へ向かおう。ん、なぜ北へ?
 なぜって、自由を求めるものは西へ、神秘を求めるものは東へ、情熱を求めるものは南へ、そして、心にやましいことのあるものは北へ向かうものなのだよ。そういうものなのだよ。


 ぶるる〜。


 や、やや、ややや、野生動物の轢死体を発見する。
 夜間にはねられたのだろうか。


 たいていの方が苦手なことと思われますが、わたくしも動物のなきがらを注視するということはひどく苦手でございます。
 伏し目で、横目で、前だけをみつめて、などしながら、なるべ〜く見ないように通過していても感じてしまうのが、一体、何がお亡くなりになっているのか、という事実だ。発見時の一瞥によって察せられる気配というやつか。
 経験上、どうも死骸の多数を占めているのはタヌキだな、と感じる。この割合から考えると、わが国はタヌキの王国かもしれない。


 これがスペインだとウサギがぶっちぎりで一位らしい。となると、きっと国土はウサギの穴倉だらけだ。道理で野ウサギのパエリアなんかを作るわけだ。


 以前、西アジアを旅行したことがあった。
 シリアをバスで旅していた時のこと、沿線に大型の犬の死骸をよく見かけたものだった。野犬なのか牧羊犬なのか私には判断することはできない。なきがらを注視したくないし、したとしても私は犬について全く無知な輩なのだ。犬の種類って数種類しか判別がつかぬ。
 それはまぁ、ともかくとして、あちらの大型の牧羊犬は、職業柄、動くものに立ち向かっていく習性があるそうで、走行する車に突っ込んでくることもあるのだとか。実際、車の下敷きになるものは僅かなのだろうが、幹線道路というものが、茫漠とした曠野を貫通する動脈のようなものだとすると、犬ちゃんが犬死するポイントは、まさにその線と点である訳で、バスを都市間の移動手段とする旅行者は、否がおうにも高い頻度でなきがらに出くわすことになるわけだ。


 あぁ、ドライヴィング中だというのに心が虚空を彷徨ってしまった。減点だぞ、俺。


 そんな風に一日が始まる。
 そして、一日の暮れ方には、言ったじゃあないですか。
 情熱を求めるものは南へ向かう。


※俺の棲み家がパラダイスのような表現になってしまった。いやいや、そういうことではないのです。多くの表現は夜に生まれる、というようなことです。