フィーバー
夏である。
おいおい、今日はフライデー・ナイトだぜ。
熱気で街は沸騰しそうなはずさ。
さて、私の暮す田舎町では今週末は祇園祭である。
神輿でぃ。日本酒でぃ。スナックでぃ。ママ、お酒追加!
あ、私は傍観者です。
小学生の頃、地区でこども神輿というやつがあり、それに半強制的に駆り出されるのがなかなかヤル気ゼロだった。
わたしはちびでフィジカルも弱かったので神輿を担ぐ班ではなく、灯篭など持って所在無くぶらぶらする班だったし。
まったく今みたいに録画装置の普及していない時代だったので、見たいテレビも見られないし(テレビはありました。カラーです)、あー、早く帰りてぇ、と思いながら灯篭を持ち上げてみたり揺さぶってみたりしていたわけだ。
時は流れた。
身長は、それでも170センチくらいまで伸びた。
だが、フィジカルの弱さは克服できなかった。肩幅狭いし、胸板薄いし。
で、神輿であるが、大人になってなんの因果か、一度参加した(させられた)ことがある。
さらし巻いて、はっぴ着て、足袋はいて、鉢巻締めて。
いよっ、粋だね、ウンベルト(偽名)さん!
そんな格好するの本当に嫌だったのだが仕方がない。もうこうなりゃあ、ふんどしも締めてやるぜ、という心境だったが、ふんどしは支給されなかった。ちょっぴり残念(最近クラシック・パンツとかの名で流行ってるらしいね)。
で、私のパフォーマンスというと、やはり灯篭持ちであった。
きっと私の身体を一瞥すれば「あーこいつは神輿向きじゃあない」ってわかるのだろう。
灯篭を持ってぶらぶらと、極めて部外者的な視線で祭りの次第を見ていると、神輿班はだんだんトランス状態になっていくのが見て取れた。
垂直方向への跳躍的な動作、旋回、同じ掛声の連呼、これらはきっと人をトランスへ導く成分であるに違いない。
神輿担いでトランスする夏を、灯篭持ちながら傍観し「トランスとは」と考えた夏もあったわけです。夏模様もいろいろだ。