フランスという病


 その昔、私が受験した大学入試の英語の問題で「画家がその作品を制作する場所をAで始まる単語で記せ」というような英文の設問に対して回答を英単語で書くというものがあった。


 アトリエだろ。


 その大学の英語入試は何と、英和辞書持込が可という素晴らしい制度だったため私は早速綴りを引いた。当然Aだ。ATから流していく。ATに続いてOがくるのか、Rがくるのか、Lがくるのかわからないが、もう答えはアトリエとわかっているのだ。
 だが、わ、わからない。綴りが。焦る。辞書をめくり続ける。わからない。ダメだこりゃ、先へ進まねば。


 atelier アトゥリエー


 フランス語である。まぁ、英語の辞書にも載ってはいるが、イギリスもフランスもドイツもソ連も、右も左も区別のつかなかった当時の私には解けない問題だった。ATのあとにEがくるなんて思わなかった。


 その学校には落っこちたので別の学校に通ったが、そこで外国語に英語とフランス語をとった。思えばこの頃がフランスというものを文化として意識し始めるきっかけだったのだろう。


 初めて聴いたフランスの歌手のレコードは Les Rita Mitsouko(リタ・ミツコ)の『The No Comprendo』だったと思う。リタ・ミツコはそれ以前からロック雑誌などで存在を知っていたが、ある日テレビを見ていると、ジャン=ポール・ゴルチエのファッションショーの模様を放映しており、そこでリタ・ミツコが演奏していたのだが、あろうことか、ゴルチエの衣装を身に纏い激しく歌い踊るヴォーカルのカトリーヌ嬢の胸がちらっと見えたのだ。ひどく丈の短い上着だったのだ。見てしまったのだ。で、ちょっとハートに矢が刺さっちゃったもので、とにかく貸しレコード屋へ走った次第(買う金はなかったのだろう)。





 それ以来、なかなかその矢が抜けぬのか、周期的にフランス病が発症してしまう。

  • 猛烈な勢いでフランス映画を見る。
  • 猛烈な勢いでフランスのポップスを聴く。
  • 猛烈な勢いでフランス語を学ぶ。そして挫折する。
  • パリを私の首都と公言してはばからない。


 副作用も併発する。

  • ハリウッドの脂ぎった映画を否定せずにいられなくなる。
  • 英語のポップスを聴かなくなる。
  • 英語は通じませんよ、この私には、と開き直る(そもそもロクに通じないが)。
  • フランスかぶれの馬鹿者として周囲から浮いた存在になる。


 まぁ、そのままシャンソン歌手を目指したり、パリへ行ってしまったりするわけではないので重篤な症状ではないのだろうが、こんな風に、秋ともなろうものなら、どうしても盛り上がってくるのだな。やっぱり秋でしょう。で、CD注文しちゃったりするのだな。


 パリから運ばれてくるのを楽しみに。