音圧ポリシー
そういえば自称ミュージシャンの端くれ者だったことに気付く。
自分のことを「ミュージシャン」などというと「プロでもないくせしやがって勘違い甚だしいですこと、おほほ」とか「なーにをまたまた世迷言を」とか「あたしと音楽とどっちが大事か今すぐハッキリして」などと、世間から指弾される確立は相当高まることを覚悟せねばならない。が、以前読んだ柘植元一『世界音楽への招待―民族音楽学入門』によれば、確かアメリカ人などは、例えば娘がフルートを習っているとすれば、平気で「うちの娘はミュージシャンだよ」ってなことを口走ると記されていたと思う。だからいいのだ。いいのです。
私はミュージシャンなんです!(素人の)
自称ミュージシャンの端くれ者として、少しは音楽制作のことも書こう。昨今のポピュラー音楽の潮流は、音圧を上げることにある。ん、なんのこっちゃい?と感じた人はそれと同時に、やにわに私がミュージシャンぽく感じられてきたことだろう。そんなことはわかっておるという人は読み飛ばしてください。あんまり内容無いので。
昨今のポピュラー音楽の潮流は、音圧を上げることにある!
平たく言うと最初から最後まで音が割れてしまう限界の直前くらいの録音レベルで楽曲をリリースするということです。
いつから誰がどうしてそうなったのかは知らん。しかし、例えば90年代前半以前にリリースされたCDとそれ以降、現在に至るCDとでは、概して音の大きさが違って聴こえるだろう。しかし、録音レベルの最高点というのは、それを超えると音が割れてしまうのでどちらも同じなのである。だのになぜ、この違い。
それが音圧を上げるというポリシーによってもたらされる違いなのだと言えよう。曲の中には静かなところ、激しく騒々しいところなどが含まれ(含まれない曲もあるだろうけれど)、当然そこには音量差があるものなのだが、音圧を上げるというポリシーでは静かなところも騒々しいところもピークレベルでリリースすることを志している。なので、昔のCDより今のCDの方が音が大きく感じられるのです。
で、我々素人ミュージシャンの世界もそうした潮流と無縁ではいられないものなのだな。録音作品の音圧が低いだけで「もっと音圧を上げたほうがいいと思います」などと突っ込まれているケースをしばしば目にするし。だが、そうした傾向は昨今の潮流なだけで是も非もないことである。まあ、きっとプロっぽい表現を目指している人は上げた方がいいだろう。
私はといえば、悩む。悩みながら音圧上げ気味でやっているつもり。
音圧を上げるのにとにかく必要なのがコンプレッサーとリミッターだ。コンプレッサーは小さな音を持ち上げてやり、大小ばらつきのある音を平均的にならしてやるという道具だ。これで音をならして増幅してやる。増幅するとピークを超える音が出てくる。それをピーク内で収めてやるのがリミッターだ。使い方は難しい。いいものはべらぼうに高い。
大体、私はほとんど生楽器を演奏しているので、本来、楽器の響きなどをそのまま伝えるべきなのだろうとは思う。よもやクラシックや古楽器アンサンブルのCDなどがコンプやリミッターをバシバシかけているとは思えないし。かといって、どちらかというとクロノス・カルテットがジミ・ヘンドリックスの「紫のけむり」をディストーションかかりまくりの弦楽四重奏で演奏したような姿勢に、よりシンパシーを感じるので、歪ませたり音圧上げたり、それでいいのだ。現状。
プロっぽい表現を目指している人は音圧上げた方がいいと上述したが、私の場合、素人っぽさも増幅される気がしてならない。
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