冬の終わりに際して

 非常に春めいている。春はいい。生きていて良かったという気になる。世には花粉の害などに悩む方も大勢いて、そんな方は春にうんざりするかもしれないが、私は寒さに弱いのです。体脂肪率も少ないしね。


 今冬を振り返ると、話題は何といっても極度の暖冬だろう。世界規模での異常気象らしい。


 異常な気象が風水害につながると痛ましい犠牲者が発生する。昨今の大きな風水害が感覚レベルで「異常」と考えられるこの気象に由来するものなのか、「異常な気象」が更に何によってもたらされているのか、私に科学的に断を下すことは出来ない。


 しかしである。異常も延々と続くならばそれが日常になる。そうなったらその環境下で、何が何でも生きて生きて生き延びていかねばならないのだ。備えなければ。


 国立民族学博物館友の会会員向けの小冊子「月刊みんぱく」2007年2月号では災害に対する文化人類学の関わり方を特集している。その中で、激甚な災害に被災した人々の居住の問題に触れた石弘之北海道大学特任教授の報告「現代の地球環境と自然災害」に考えさせられた。


 かいつまんでみると、スマトラ沖大地震による津波被害は広くインド洋沿岸に計り知れない犠牲をもたらした。スマトラ沖での大地震は約240年前にも起こったことが科学的にわかっているが、被害の記録は沿岸の文化に刻まれていない。今回、大きな被害を生じさせることになった要因は、被害が出るところ、つまり津波が届くところに人間が居住するようになったことが大きいのではないか、というようなことが述べられている。


 勿論、スマトラ沖地震と異常な気象とは関係がない。しかし、それによってもたらされる災害のパターンにはマクロな視点では通底するものがあるのかもしれない。


 20世紀には世界人口が夥しく増加した。そして現在の世界人口は65億人といわれている。今世紀もまだまだ増加する見込だ。となれば、それまで人間が居住していなかった立地にも進出していかなければなるまい。で、石教授が記すように、海辺だとか、崖の真下だとか、山の斜面だとかに住居が構えられる。地震や風水害への耐性という面ではどうしても不安であろう。しかし、市井の人間にとってはそれも人口増加のなかで(別にそんなことを意識して生きちゃいないけれどさ)、何が何でも生きて生きて生き延びるための戦略の一つでもあるのだ。


 異常な気象や地震などによってもたらされる災害に備えること、増え続ける世界人口と居住の問題、異常な気象の要因が人為的なものによってもたらされているのならばそれを取り除くこと、どれも折り合いをつけていくのはひどく難しいことに思える。


 そして人は今日の糧を求めて、ささやかな夢をかなえるために、冬の終わりに安堵し、春の到来に歓喜し、生きて生きて生き抜かなければならないのだ。