三月、私は生きかえる

三月、私は生きかえる



 3月30日、移動式音楽班のウェブ・サイトにて「三月、私は生きかえる」という曲をアップしました。よろしかったらお聴きください。極めて暗い曲ばかりの私のコレクションに、更に格別に暗い曲が加わりました。そうは言っても、暗さの中に、何かしらの色を感じていただけるような音楽になっているといいのだけれど。



移動式音楽班おとのせかい




 まぁ、シロウトの私が自分の楽曲制作についてあれこれ語っても、誰にとってもな〜んの足しにもならないと思うのだけれど、音楽が生まれるのって何だか不思議なことだな、と思う。音楽仲間にも、あまり面と向かって聞くのもはばかられる気がして、奥ゆかしい私は突っ込んで聞いたことがないのだが、一体、人はどうやって音楽を作っているのだろう。


 中学生の頃の俺(急に一人称を俺にしてみる)は、ノートにアナーキーな歌詞を殴り書きして(添削なし)、そこにフォーク・ギターでコードを弾きながら適当な節をつけてわめいていた。当時の代表曲は「寺の鐘が聞こえる」という、男女のつらい別れの背景に鳴り響く寺の鐘の音に心情を投影した曲だった(俺は仏教関係者ではないが)。もちろん、今の俺にはとても演奏できる曲ではない。恥ずかしいを通り越して笑っちゃう。


 高校生の頃の俺は、曲がりなりにもバンドというようなものに自己表現の場を移しつつあったし、自宅録音的なことにも興味を覚えだした頃で、詞に節つけてギターでわめく本質にあまり変化はなかったが、詞も少しは添削したし、ザ・フー風とか、セックス・ピストルズ風とか、U2風とか、偉大な先人にあやかった雰囲気を出すことに精を出した気がする。まぁ、人が聴いたら下手すぎてそうは思わなかっただろうが。


 当時の代表曲は「臆病者の叫び」という、オマエを連れ出して海へ朝焼けを見に行きたいぜチックな、浜省+甲斐バンドみたいな曲だったが、当時の俺の交通および輸送手段は自転車だった。しかも住まいは長野県だ。ん、もちろん今演奏できるわけがない。恥ずかしくて死ぬ。恥死。


 その後、劇的な変化が訪れる(俺にとっての話だけどね)。ほとんどの場合、詞ではなく、曲から先に作るようになったのだ。おぉ、アーチストっぽい。


 最初のうちはギターのリフのようなものから曲が発展していくというような過程だったが、そのうち、シンセとシーケンサーを手に入れてからは、かなり詞なしで完結しているような曲も作れるようになった。誰それ風とか、どこの土地風とか、そういった動機での制作も長く続いたが、今ではそういった側面は、ちょっとした遊び的な要素で、動機になることはない。

 
 で、この曲は一人セッションのような状況から生まれた。

  • シンセの低音の鍵盤に文鎮を乗せて音が持続しっ放しの状態にする。
  • 電子メトロノームのクリック音が充分に聴こえるよう音量を上げる。
  • それにあわせて鍵盤ハーモニカを適当に吹く。
  • それにあわせてウードという西アジアの弦楽器を心の赴くままに弾きまくる。
  • 以上の行為をテープに録音してみる・・・


 そうして出来たラフなデモをもとに構成・編曲し、再度録音を行い曲となりました。「寺の鐘」や「臆病者」をわめいていた俺はこの曲を聴いて、いいと思えただろうか?多分、聴いてるうちに眠っちまったのではなかろうか