シリーズ、等身大


 現代のJ-POPの核心は「等身大」というキーワードにある。ありそうな気がする。


 等身大とはこれ如何に。おそらく、ありのままの自分、脚色していない自分、強さも弱さもひっくるめのそのままの自分、などの感覚がそれにあてはまるようだ。不完全さをそのままさらけ出す感覚なのか。そういう曲、積極的に聴かんから実際はよくわからなかったりするのだが。


 等身大の自分がリリースする楽曲は日常のおしゃべりのような、ひとりごとのようなものが多くなるのだろう。従来のポピュラー・ミュージックのような、情景があり、心情があり、心情が情景に投影され、情景が心情のメタファーになるというような「作詞」的な技法は、ありのままの自分ではなく、脚色されたものに当たる。しかし、技法を駆使しないとありのままの自分をぐだぐだ語っているだけの、かえって回りくどい曲にならないかい、なにしろ現実は回りくどいものじゃないか、と懸念してしまうのだが、そんな懸念を覚える時点で等身大失格者なのかもしれない。


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 4/23日現在、10分ほど唸って思いを馳せた私の想像。違っていたら教えてください。多分、いろいろと違っているのだろうね。


等身大ではないもの(思いついた順)


波止場、のれん、湯けむり、ローカル線、ディエゴ・マラドーナ、ゴルフ、宝塚、中華人民共和国ヨン様、ヒッピー、セックス・ドラッグ&ロックンロール、テキーラ・セックス&マリワナ、部長、移民、深酒、自棄酒、ブランデー、大爆笑、号泣、ワビ・サビ、人文科学...



等身大なもの(思いついた順)


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 一体、こんなことに思いを巡らせな〜に〜を企んでいるのか。


 何も。


(気が向いたら続く)