故郷は死んだ、ここは始まりでも終わりでもない

寒い国のクロニクル



 4月25日、移動式音楽班のサイトに「寒い国のクロニクル」という曲をアップしました。よろしかったらお聴きください。そしてここにMP3プレイヤーを埋め込めることを知った。MP3ファイルに直リンクするとプレイヤーが表示されるらしい。何と。


 暗い、真っ暗よ。よろしかったら、いかがですか。


移動式音楽班 おとのせかい


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 新たな武器、エレクトリック・マンドリンを少々弾いている。ギュンギューンと、鋭角的にリフを奏でている。奏でているつもり。


 私がちょろっと作る曲のほとんどは2小節ないし4小節にまたがる短いリフレインの繰り返しだ。Aメロ→Bメロ→Cメロ、さらにも一つDメロ(凝った曲だな)というようなダイナミックな、ポップス的な進行はあまりやりたがらないようだよ。この人は。そしてたいていが短調だ。つまり単調な短調だ。


 私はリフレインを愛する。リフレインは世界各地の民俗音楽に広く見出せるスタイルであり、クラシカルなロックの中枢でもある。多分、その二つは遠く隔たっているように思えるが結びついている。三味線片手に土地の民謡を座敷で唸るのと、キース・リチャーズが100万ワットの大音量で I Can't Get No Satisfaction のリフをべれべれ弾き、ミック・ジャガーがくねくねと妙な動きをしながら歌うのとが、実は深層で結びついている可能性があるのだ。刑事(デカ)がマイミクを辿っていったら犯人(ホシ)に辿り着いたような驚きの世界が、音楽文化の伏流としてあってもおかしくないのである。ん、文が変だな。まあ、いいや。


 そして、ここで単調で短調なリフをエレキ・マンドリンやら笛やらでどろどろと演奏する私も、その伏流にのまれ漂い溺れているものの一人である。レベル的にかなり格下ということになるが、そうなのである。私は伏流の中にある。


 そして、ここ伏流の中、あろうことか故郷に呪詛の言葉を吐きながら、もがく。


 デリケートで傷つきやすくて、馬鹿で青春シンドロームで、ナイーヴでうぶなもやしっ子で、そんな人間を育んだ優しいふるさとであるが、そして、それは世界にただ一つのスポットかもしれないが、世界のどこともそう変わりはない。ふるさとをべったりと愛し続けると伏流を見失うだろう。三味線(何でもいいけど)唸り節とサティスファクション(紫の煙でも愛しのレイラでもいいけど)がどこかで通底しているんじゃないかと思える私には、しばしばそう思える。音楽を通り越してもそう思える。