The Who / Quadrophenia


Love Reign O'er Me
by Pete Townshend
(邦題:愛の支配)


愛だけが雨を降らす
海が浜辺に口づける流儀で


愛だけが雨を降らす
草むらで抱き合う恋人達の汗のような


愛よ、俺を支配しろ
俺に雨を


愛だけが雨をもたらす
君をして空に向かい焦がれさせる雨を


愛だけが雨をもたらす
天上より涙のように降り落ちる雨を


愛が俺を支配する


乾いた埃っぽい道
俺たちが離れ離れに過ごすいくつもの夜
俺はうちに帰らなければ、冷たい雨の降る方へ
夜は暑く、まるでインクのように真っ黒だ
俺は眠れず、横になり思う
神様、キンキンに冷たい雨の一杯を飲みたいよ




 先日、友人の凡華麗氏からいただいたコメントを読んでいて思い出した。彼はザ・フー・キチなんだ。


 ザ・フーのロック史における功績といえば、ロックオペラとか、コンセプト・アルバムとか、ベースもドラムスもソロ楽器なんだぞ、コノ!とか、いろいろあるのだろう。私も若い頃、ザ・フーに心酔していたので、コンセプト・アルバム的な発想法が未だに抜けない。つまり、まぁ、アルバムというものは、なにかテーマなりストーリーがあって、それに沿ったり逸脱したりしつつ進行していかないと気が済まない訳だ。気合と勘違いと大仰さを愛する感性と、スットコドッコイぶりに居直れる図々しさが必要だ。「この曲はA面2曲目的だ」とか「これは絶対B面1曲目だ」というような、ポップス的な意図での編集とは相反する方針で曲は配置される。コンセプトっすから。必然っすから。あ、今、A面もB面もないよね。


 そんなわけでザ・フーの『Quadrophenia』(邦題:四重人格)である。レコード二枚組のコンセプトアルバムである。テーマはロンドン在のジミー君(モッズ族)という青年の自我の危機を通してバンドの存在理由を逆照するというようなものかな。そのエンディングの曲が冒頭の「愛の支配」。


 ザ・フーというか、ピート・タウンジェントの詞は、英国人らしい可笑しなユーモアが随所に光るものだが、それ自体では若者の人生を白から黒へ変えてしまうようなものではないと思う(英国での状況は知らんよ)。大体、ザ・フーの魅力は、メロディと演奏を抜きには語れない。


 『四重人格』は、あまりまとまっているように思えないけれど、繊細さと激しさで描かれた佳曲が何曲か盛り込まれた、よいアルバムだ。多分、ザ・フーのアルバムで一番好き。美しいモノクロームのブックレットがついたレコードを所蔵している。


 『四重人格』は映画化もされている(「さらば青春の光」)。昔、広尾だっけな、フィッシュ&チップス食わせる店があって、食いながら店内のモニターで上映されているビデオを見ていた(既に見たことあったんだけど)。映画が終わると客の一人(俺と同年輩のサーファー風の若者、当時)が、


「クソみたいな映画」


と、呟きやがった。たいした映画じゃあないかもしれないが、ザ・フーとフィッシュ&チップスを愛する人間には心外な言葉だ。ううー。


 「お前には永遠にフィッシュ&チップスにかけるモルト・ビネガーの味はわからねー!」


 ふっ、呪ってやったぜ。どうだ、参ったか。頓珍漢の心の叫びさ。



四重人格

四重人格