移動祝祭日

移動祝祭日



 6月13日、我がウェブ・サイトに「移動祝祭日」という曲を公開しました。よかったら訪れてみてください。



 移動式音楽班 おとのせかい




 そんなことは面倒くさいぜ、という方はここでもお聴きいただけます。



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 が、音質の面で言うと、ここで簡単に試聴できるMP3プレーヤーも、我がサイトで試聴用に設置されたMP3プレーヤーも、俺はこんな音で編集した覚えはねー、という音を奏でてくれる。音質イマイチ。我がサイトの、曲ごとに表示されたジャケット風画像をクリックすると、Quicktimeなり、Windows Media Playerなり、マシン所定のプラグインが立上るので、それが最も高音質でお楽しみいただける方法です。


 さて、曲は以前公開した「明滅」という曲の一部を別に録音したものだ。太鼓が、ギターが、歌が、どれもこれも起伏のないノイジーなお経のような曲。ただし、音楽の中にエネルギーというものが宿るのなら、それはこの曲の中で平坦なものではないと思っている。


 2005年以来、何らかの形で発表することを目的に曲を制作してきたが、このトラックをもって、当初やりたいと考えていた表現をほぼやり遂げたと考えている。2年かかった。その間制作・発表されたほとんどの曲は2年以上前に既にデモまたは骨格があった。


 途中、もうできないかな、と思ったこともあった。思い返すと感慨深い。たくさんのコメントやメッセージもいただいてきた。ありがたく、思い返すとこれも感慨深く、感謝の気持ちで一杯になる。


 言葉にすると単純だが、やりたかったことは、ジャカスカしていて感傷的で人間の野性を描きたくて、ほどほどでなくて、パキスタンのバスのように装飾やりすぎで、自分のあらん限りをぶち込んだものだ。煙草に火をつけ、深々と煙を吸い込み、ぷはぁ〜。「あぁ、やってきたよ」と、言える(煙草飲らないけれど)。


 とはいえ、まだ墓に入る気はないし、墓に持っていける曲などはない。曲は火葬場の燃料にもなりはしない。やりたいことが大幅に変わることも今は考えられない。代わり映えのしない表現をこれからも続けていくかもしれない。これからはこうする、と、まとまった考えは今はない。あっても教えないかもしれない。しかし、我々(といっても一人だけどさ)移動式音楽班にとっては、その楽団の中で何年にもわたり意識されつづけていた一本のラインを跨ぎ越した。