カレーと音楽


 昔、確か「現代思想」(青土社)で、玉村豊男四方田犬彦の、料理に関する対談だったと思うが、一度カレー味になった料理は二度とカレー以外の味にすることはできない、カレーとは最終料理なんだよ、というようなことをどちらかが言っていたと思う。うろ覚えだが至言なり。


 カレーで最も重要なスパイスはターメリック、シナモン、クミン、コリアンダー(種)だろう。ターメリックは黄色い色付けなので風味への影響は少ない。他の三種のスパイスは、混ぜるとはっきりカレーの風味になる。意外と単純なもんだ。三つのうちのどれか一つが欠けても多分、まだ充分にカレーだと思う。二つ欠けてスパイス一種だけではカレーと認識できない気がするが、そこに上記以外の香りスパイスを適当に何でも構わないから二種類ぐらい足せば、やはり再びカレーになるだろう。そして一度カレーの風味を帯びたが最後、更に何種類のスパイスを追加しようとも、それはカレー以外の風味に戻ることはできないのだ。やってみ。ホントよ。


 さて、音楽においてもそういったことが言えまいか。カレー=インド繋がりで行くと、例えば、シタールというミヨ〜ンと響くインドの弦楽器があるが、その音がアンサンブルに導入されれば、どうしたってインドに聴こえてしまう。それ以外には聴こえん。後戻り不能の一撃インド化スパイシー楽器=シタールと言うことができるだろう。


 この20年間あまりのポピュラー音楽の一潮流として、音声のサンプリングであるとか、それを加工して音楽作品に取り込むといった行為が非常に容易になり、実際に演奏しなくてもそれっぽい表現が簡単に可能となった。インド的な雰囲気だけを出そうと思うならシタールの音をサワリ程度にでも導入すれば充分であるし、アラブ的な雰囲気ならば別の手がある。また、そうした楽器の演奏でクラブ・ミュージックを作るというようなミクスチャーな試みも、音と演奏のサンプルさえ入手すればいとも容易い。更に地理的・文化的にまったく異質なセット同士を組み合わせることもできる。面白いと感じることもあるし、音を並べただけだろう、とつっこみたい気持ちを感じることもある。とはいえ、そこには確かにカレー的な制作物があるわけです。


 そうなりゃ、冒頭の至言に戻るしかあるまい。一度カレーになったら二度とカレー以外にはなれない。心してカレーになれよ、フレッ!フレッ!フレー!


 ということで、人様はともかく、自分に望むことは、インドカレーなどを目指すのでなく、自分カレーのマル秘な配合を編み出したいんだぜ、です。


 ちなみに私のカレー作り(食う方)はスパイスを挽くところから作ります。食ってみ。微妙よ。