くるり


 コンサートへ行ってきた。くるりである。


 大槻ケンヂが何かのインタヴューで、ロックの本質は体育会的体質であり、先輩へのリスペクトからくる憧れ、同一化などがその原動力なのだ、だから俺は自分より年下のバンドなんて聴かないもんね、というような事を言っていたように記憶している。せ、先輩、オレ、嬉しいッス(半泣き)、みたいなのがロックの本質だという訳。ジャガー先輩とか、リチャーズ先輩とか、レノン先輩とか、ディラン先輩というのは、後輩から非常に慕われた先輩なのだ。


 確かにそういう面、ないとは言えないよなぁ、と思う。実際、俺も若者の野郎のメインストリーム指向のロックバンドを熱心に聴く性質ではない。かといって明らかにピークを過ぎたおっさん(或いはじじい)の新作などにもあまり興味がもてないので、そういうことだと自分の中でロックというのは伝統芸能化、懐メロ化の道を辿って行くのだろうから、その姿勢もおっさんの居直りのようでふてぶてしい気もする。おっさんが進行形でロックし続けるのは大変なことなのだ。


 さて、くるりであるが、何年も前から違和感なく聴いている。とっても好きだ。彼らは私よりずっと年下だろうが(10代の若者などからすればずっと年上だろうが)、何の違和感もない。なぜ違和感がないのだろう、と思ってきたが、曲が素晴らしく、詞が素晴らしく、歌唱が素晴らしく、演奏が素晴らしいのだから、違和感などあろうものか。それでいーのだ。素晴らしければ世代間の垣根を超えるのだ(お互い、少しずつの歩みよりも必要かもしれないが)。押し付けがましい露出したメッセージのようなものを表に出さないところも良いのかもしれない。曲とすれば「ばらの花」というのは私の生涯のフェイバリット・ソングの一つだろうし、アルバムで言えば『アンテナ』というのも日本のロックのアルバムの中でフェイバリットな一枚だろう。


 今回はアルバム『ワルツを踊れ』発表後のツアーであるが、メランコリィな曲、硬質で激しい曲、語りかけるような曲、しなやかで強靭な曲、おなじみのべらぼうに素晴らしい曲など、魅力満載の楽曲が巧みに配置されていて演奏も素晴らしかった。わたしは、昨年の1月頃だったか、前のツアーの公演のチケットを入手していたのだが、その時期、患っていて行けなかったことなどあり、そんなことも思い出され感慨深かった。コンサートに足を運んだ人にとって特別な一夜を演出してくれるような、素晴らしいコンサート。