コシャリ


 人は美食にばかり溺れておってはならん、という戒めは、人をして正月開けに質素な草粥を食わせたり、終戦の日に戦中の困窮生活に思いを馳せ、すいとんを食わせたりする。美味いものばかり求めては、そんなものばっかり食っていてはいかんのである。人は堕落するのである。


 さて、この四五日、自分のメシを自分でまかなわねばならぬ状況に直面している。別に問題はない。私はクッキングを厭わないし、極めて常識的かつ小市民的な予算で献立を立案することが出来る。こんな時に影に隠れて高級食材を食うような卑怯な行いはしない。
 自分の食う物を自分で作る時の良い点は、人は誰も食わないので、美味なものを作るという気遣いもプレッシャーも一切ない点である。というわけで、別に美味いものである理由がない料理を作ることにする。

 
 それはいかなる料理であろうか、というと、そもそも大して美味くない料理なのである。なにゆえにそもそも大して美味くない料理をクッキングするかと言えば、それは我が身の堕落防止であり、ちょっとした記憶の復元であり、一人の時にでも作らねば家人の賛同を得られぬであろうからである。


  • マカロニをくたくたになるまで茹でる。アルデンテ禁止。茹で時間9分と表示されていたら12分以上茹でねばならない。
  • 鍋で揚げ玉葱を作る。こんがりと、うわっ、目を離していたら少し黒焦げになる。
  • その油で生米を炒める。湯を注ぎ、塩を入れ米を炊く。私は鍋で米を炊くのが得意だ。
  • レンズ豆を茹でる。大体茹だったら、塩、クミン、にんにくすりおろしを投入しもうしばらく茹で、ザルにあける。
  • レンズ豆のゆで汁にトマトペースト、チリパウダー、更ににんにくすりおろし、酢、塩を投入し一煮立ちさせソースとする。
  • 炊けた米にレンズ豆を混ぜる。
  • その上にくたくたのマカロニをクタッとのせる。
  • その上に少々黒焦げになってしまった玉葱をばらばらとのせる。
  • その上からソースをばしゃっとかける。
  • 味がもの足りなかったら更に酢をどぼどぼかけても良い。

[,right]
 エジプトの大衆料理、コシャリである。米+豆+パスタという、まぁ、残飯のような、おっと失礼、大きく育てよ、というような料理である。では、いただきます。


 そして私は感嘆の声を上げる。茹ですぎたマカロニのテクスチュア。クミン、にんにく、酢が織りなすオリエンタルな香り。やけに甘く感じる玉葱。そして食っても食っても味に変化のない豆飯。カイロのコシャリ屋でボウルに盛られて出てきたそれと大差ない味である。そしてもちろん別に美味くない。そしてすぐに腹が膨れる。米+豆+パスタだからな。


 経済的な旅行をする旅行者でカイロに滞在したものならば、必ずコシャリを食っているだろう。確か20円くらいだった覚えがある。それは質素な生命維持に見えて、過剰であり、混沌であり、何かの冗談である。コシャリが特別な料理であることは、それが美味くないことによるのである。そして、誰にでもそういった美味くない特別な料理があるものだと察する。一人のとき、作ってみよう。できれば愛する人に食わせてみよう。嫌われても知らんが。


ジャミーラ高橋著『新版・アラブのエスニック料理入門』(千早書房、1994年)を参考にしました。