可笑しな名の町への旅


 我々の言語感覚に鑑みて、妙なというか、可笑しな名の町というのが世界には点々とある。


 思い出すのが、ボル Boluという町だ。トルコの黒海よりの地方にある都市であるが、好んでこのような町へ行くということは、虎穴へ入る覚悟を要し、更にその町随一の「グランド・ボル・レストラン」でディナーを、などという振舞いは、半ば狂気。
 手ぐすね引いて待ち構える強面かつ屈強な給仕および調理人たちにより、頼んでもいないシャンパンを開けられ(実際、安スパークリングワイン)、頼んでもいないキャビアを出され(実際、とんぶり)、あら、あ〜さん、お久しぶりね(実際、初めて来た)頂いてもよろしいかしら、などと一瞬しなを作るや餓鬼に豹変する喰い女・呑み女などの仕業により、身ぐるみ剥がされても仕方がないとしか言いようのない状態に陥ること必至であろう。
※本当はな〜んにもない静かな町です。


 やはりトルコで、シリフケ Silifkeという名の町も、お洒落と言おうか、いや、ひどい名前の町だ。こちらは地中海よりの都市であるが、尻を拭けだなんて、そんな、しかも命令形でなくたっていいじゃん。私も通過しただけの町で詳細はさっぱりわからないが、しかし、そのような不躾な命令形を他人に押し付けるような風土には見えなかったぞ。
 ちなみにこの町のバスターミナルで食ったスュミットと呼ばれるリング状の胡麻付きパンは異様に美味かった。おかげで、むしろ良い印象があるのだ。


 これは結構有名なのかな。オランダにスケベニンゲン Scheveningenという町があるそうだ。オランダ語読みだと本当はこうは読まないのだが、かなり、そういう町なのだろうか。私もひとりのスケベニンゲンとして是非、一度訪れてみたい魅惑的な町の一つだ。何となく、この町を訪れて初めてやっと俺も一人前というような、私の情熱に火をつけそうな、もう俺、ここで終わってもいーよ、悔いねーよ、というような名の町なのであるが、私はこの手の話をすると止まらなくなるのでやめておこう。


 ヨルダンの首都はアンマン Ammanである。あなたは粒あんがお好きですか、それともこしあんがお好きですか。ノープロブレム、アンマンであんまんなんて売っちゃあいないさ。
 ヨルダン随一の大都会であるが、なんちゅーか、それほどエキサイティングというわけでもない町だった印象がある。
 "I (ハート型)NY"といえばニューヨークのシンボル、記号でもあるのだが、


 "I (ハート型)フセイン国王の写真"


 というようなデザインを目にすると、別にその国の施政者にこれといって恩も義理もない下層通りすがりアウトカーストたる私は、にっこり微笑む国王の有り難い笑顔に脱力した覚えがある。官製デザインのすっとこどっこい例の一つであろう。その有り難い国王も既に故人となった。
 もし今、アンマンに行ったなら、私は死にものぐるいであんまんを探すだろう。在留邦人や華人を探しローラー作戦を展開する。旅とは思い付きで良いのだ。生きるべきか死ぬべきか、アンマンかあんまんか、粒あんこしあんか、それが問題なのだ。


 そうかな。