マグカップ


 長年使用していたマグカップが割れた。おお、何と不吉の予兆、お祓いしてもらわなければ、などという心境にはぜーんぜんならないもんね。仕方がない。


 以前、一緒に働いていたK君という若者に貰ったものだった。私はいつでもK君に「これとこれをああして、それからあれとあれをこうしてきておくれ。オーケー?よし、絶好調だろ?」というような按配で鼓舞し、共に働いていたわけだが、K君はにこにこしながら「うい、うい、えへへ」などと相槌を打ち、そしてたいてい、私の言ったことを六割方曲解して処理してくれる愉快な奴だった。


 「移動式さん(源氏名)、昨夜野球見ました?」
 「は、見ないよ。何かあったのかい?」
 「巨人、勝ちましたね」
 「そうなの?巨人好きなのか?」
 「はい。巨人っス。移動式さんはどこっスか?」
 「そうね〜、強いていえばロッテ対日本ハムかな」
 「巨人でしょ」
 「いやでーす」
 「巨人っスよ」
 「え〜」


 そんなK君が東京ドームに愛する巨人の試合を見に行くことになり、その日仕事を休むと言ってきた。そりゃあ、働くより愛する巨人見に行く方がどう考えたって重要さ。楽しんできなよ。


 「俺、移動式さんにお土産買って来ますから」
 「いいよ、気にすんなよ、巨人好きじゃないもんね」
 「えへへ、巨人っスよ」


 そして約束通りK君は俺にマグカップを買ってきてくれた。



 東京読売巨人軍 MATSUI 55 戯画化された松井がかっ飛ばしている画



 巨人嫌いな男が使うには困ったデザインだ。が、それもまた貰い物の「黒部ダム」と染めて焼かれた黒部ダム土産のマグカップ(それを私はとても気に入っていた)が割れた際、まぁ、それでもな、と思い「MATSUI 55」をおろしたのだ。


 もうその頃はK君と一緒には働いていなかったが、時々、彼どうしたかな、大人になったかな、なんてカップ見ながらぼんやり考えたものだ。モノはモノだけど、思い出や人を心に映したりもするのだな。


 まぁ、薄情者なのでK君のこと、これで忘れるかもしれん。チャオ。


 あ、巨人はともかくとして、東京ドームのMATSUI 55マグカップは、松井のフルスイングのように強打しなければ5年くらい平気で持ちます。固いっす。その間に松井もニューヨークへ去ったと聞くが。