歌い飲み食い喋り夢見る


 このところ、いろいろと立て込んでいたものだが、その合間に、昨年から自主自宅制作しつつ、しばらく中断していた音楽録音作品を仕上げるべく、更に歌を歌ったり、笛を吹いたり、口琴をビヤボ〜ンと鳴らしたり(江戸時代には実際に「びやぼん」と呼ばれていたらしい)、太鼓を叩いたり、更にエスカレートして銅鑼などぶち鳴らしたり、至極近所迷惑な活動もしていた。


 そういうわけで、ミキシング作業が終われば、私が主体的に演奏に加わっているミュージック(複数)が、遠からずウェブの大海原の何処かに、ぽちゃんと投下されるだろう。


 春が近づくと自然とヤル気が湧いてくる。不思議なもんだ。


 だからその、いろいろと立て込んでいたものだが、その合間にも地元の韓国居酒屋でマッコリをぐびぐび飲みつつケジャン(蟹の塩辛と言ったらいいのかな)やら豚足の煮込みやらを餓鬼のように喰らったりする。


 今年は再びソウルにでも行って俺のソウル=魂を意味もなく燃え上がらせたいぜ、などと画策する。一度訪れたソウルは、逗留したところが若者達が集うエリアだったせいもあるだろうが、若者達のいきいきとしている様がとても印象的だった。生きているだけで楽しそうで、女の子など、それだけで可愛らしく見えたものだ。野郎のことは少しばかりも見ちゃいないので、それがイケてるのかイケてないのかちっとも思い出せない。


 春が近づくと自然とラテン気質が芽生えてくる。不思議なもんだ。


 とは言うもののその、いろいろと立て込んでいたものだが、地元のブラジル小間物屋で、そこは軽食をいただけたりテイクアウトできたりするカウンターを併設しているのでありますが、そのカウンターでですね、おずおずと「コシーニャ(涙の形をした鶏肉入りのコロッケと言ったらいいのかな)二個頂戴」と、ポルトガル語の乏しい語彙を総動員して試しに語りかけてみたところ、ばっちりと通じてしまい、居合わせた日系ブラジル人たちの口元に笑み(嘲笑かもしれんが)までもたらしてしまうという快挙を演じ、妙にすがすがしかったので最近ポルトガル語を学習しだしたりしている。小間物屋で用を足すレベルで充分だ。


 私はいつか聖ガンジスのほとりに辿り着くことを人生の目標にしているのだが、その前に大アマゾンを経由するのも悪くないな、と少しその気になる。どえらく遠回りだぜ。


 春が近づくと自然と新しい目標を定めたりする。不思議なもんだ。


 例によって、これといって内容のない雑文だが、春が近づくと自然と文章にちょっと粘り気が増してくる。不思議なもんだ。まだまだ寒いけれど、それは確実に迫っている。毎日、静電気もビシビシきてます。