面影(ウムカギ) 雨を乞う

面影(ウムカギ) 雨を乞う



 先日、歌謡渡来一味内蔵なるユニット名義で一曲公開させていただいています。よろしかったらお聴きいただければ嬉しいです。



 面影(ウムカギ) 雨を乞う



 もともと一味のみばさんのオリジナルで、弔いに、優しい雨を願う歌である。素晴らしい絵画も彼女の手によるものである。 





 竪琴というものを初めて弾いた。
 姉の所有するセムセミイヤというエジプトの竪琴である。ボロボロの一品を預かっていたのだが、折れた糸巻きを修復したり(ボンドでくっつけただけだが)、適当な弦を装着したりしてボロンと奏でてみた。


 一応、私はセムセミイヤによって演奏されるアラブ・アフリカンな音楽のカセットを持っている。ベレベレと単調な竪琴のかき鳴らしストロークとパーカッションに乗って、激しいコール&レスポンスが延々と繰り広げられるイカしたものだ。しかしだ、一体、この私の眼前に転がるセムセメイヤをどう弾けばイカしたベレベレになるのか、皆目分からん。


 私はこいつに4弦を装着した。大体、竪琴というものは、ギターなどと異なり一つの弦で一つの音しかでない。つまりこれ、4つの音しか出ないのである。非常に限られた表現しか出来んのである。ベレベレした感じは出ぬ。


 しかし、まぁ、初めて弾くぽっと出には、あれこれ迷う必要もなく良かったかもしれない。非常に即興的に(ったって音は4つしか出ないのだ)一曲弾く。


 ギターの弦を弓で擦る。ギー。部屋で乾燥させていた月桂樹の葉を振る。バサバサ。サヌカイトを叩く。コキーン。笛も吹く。ヒュウ。何となく、古代にでもワープしそうな音遊びである。


 太鼓を叩き、バグパイプを吹き鳴らし、でんでん太鼓やラットルの類も鳴らし、最後の最後に一発、金属の音(シンバル)をお見舞いする。雨音や雷鳴を模すことで雨を呼ぼうという類感呪術のようなことを音遊びでやっている。

 
 私はどうも、そうしたイメージの連鎖的な感応に心を奪われている。楽器というものがもともと何かの道具だったと考えると、それぞれは音で何を目論んでいたのか、考え、試してみることは、愉しい。そして一曲を、片やアポロンの竪琴もどきで、片やディオニソスの笛もどきで、スタイル的に対照的な演奏をしているわけだが、曲に強く込められた思いというものは、なかなか微動だにしないものなのだなぁ、とも感心する。私はそうしたものを手につかんで、そのリアルさを味わいたいのだろうな。できれば音を通じて。