迷信の沼


 一応、私は20世紀の生まれであり、つまり科学の子である。時計はデジタル・ウォッチに限るね。この世に信じるものといえば科学であり、信じぬものといえば非科学極まりない迷信である。



 むかしむかしのこと。
 そのあたりは全国平均の半分程度しか雨が降らない土地で、いにしえより数多の溜池が土地人によって築かれてきたのです。この池はそんな池の一つですが、築造時、土堤から漏水し、水を溜めることができなかったでした。


 困った昔人は、土地の荒ぶる神を鎮めるために人柱を埋めることを案じました。して、誰を?


 くじ引きの結果、村はずれに一人で暮らす美しい娘に白羽の矢が当たりました。娘はその不条理を呪い、人柱になる前の晩、舌を噛み、池に身を投じて死にました。

 今もこの池はその悲劇に因んだ名で呼ばれます(名は伏せます)。



 昔は大規模な土木事業(築城とか)などに際し、土地の神を鎮めるために人柱と称して別嬪な生娘を生き埋めにしたという伝承が各地に残る。おぉ、なんと非人道的な。その時代、わが国には人間中心主義的な観念は存在しなかった模様だ。まったく、そのような迷信によって、しかも別嬪な生娘が犠牲になるとは言語道断。私が将軍ならば、ゆ、許さん。人柱禁止令を即刻布告する。


 さて、しかしながら、上記エピソードを少しほどいてみよう。


 (1)まず、村はずれに美しい娘が一人で暮らす状況は不自然ではなかろうか。私は彼女が当時の社会制度の底辺、あるいは埒外の人間であったがゆえ白羽の矢が当たったことを仮想する。


 (2)或いは、これは完全に仕組まれたシナリオで、何がしかの事情で殺められた娘の亡骸を池に浮かべ、殺人を人柱に転化し伝説化させることで殺人の事実を隠匿したのだ、と仮想する。


 (3)それとも、迷信深い者どもの人柱フィーバーを鎮めるために、冷静な一派が一芝居ぶったというのはどうだろうか。娘はどこからかスカウトしてきた人材で、死んだ、と見せかけてフィーバーを鎮めたと。娘の手許には出演料として小判が一枚残ると。今頃はバカンスさ(伊豆など)。と仮想する。


 1・2は不条理である。嫌だな。3には救いがある。3にしよう。


 いずれにせよ、科学の子を標榜する割に、想像力で伝承・迷信の背景を読もうとする所作は、私がこの世で最も信ずるものは、実は文芸であり、芸術である、ということを問わず語っているようだ。迷信を憎むが、それはよいエネルギーになる。ハッハッハ。