夏模様


 みーんみーんみーんと蝉が鳴く。


 世間、と申しましょうか私の周辺では「今年は蝉が鳴かないよねー変ねー」などという証言が寄せられているのだが、何を祐天寺。
 連中の朝からの大合唱により私は深い眠りから目を覚ます。ムクッと。


 「う、うるさい」


 いくら私が極めてシティ派な野郎だとしても私の住まう近界にはひっそりと自然の息吹があるのだ。そしてその自然の息吹形成にたいへんに寄与しているお家がある。主人が園芸好きなのだ。


 立派だなぁ、と思うのは、植えて育ったものを剪定するとか、形を整えるとか、そういった自然の摂理に反することをどうも決して致さない点である。植物はすくすくと天高く伸び、地では道を塞ぎ、鬱蒼と生い茂り、小径を行く少年少女の往来を妨害し、ほぼジャングルと化し、今日も大量のCO2を吸収しているに違いない。とってもエ・コ。


 その凄さのエピソードを数えれば両足でも足りないほどなのだが、極めて印象的だったエピソードを一つ紹介しておこう。


 ジャングル化した園芸主人の土地の隣にツタの絡まる白いお家がある。瀟洒な佇まいを想像していただくとよかろう。隣と合わせてダブルCO2吸収ハウスである。結構なことだ。さて、そのツタども、秋になると葉を落とす。つむじ風にひゅううっと舞った木の葉は私の家に降り注ぐ。まぁ、きれい。


 冗談じゃねーよ。


 ツタの枯れ葉をせっせせっせと掃き掃除する男、私だ。ツタ館の住人はどうもちっとも意に介さないらしい。畜生、この馬鹿ツタ、俺が根っこからこっそりちょんぎっておいてやる、と、ツタの蔓を辿り生え際を探すと、それはあろうことかツタ館の敷地を通り越し、隣の園芸主人の土地から伸びてきていたのである。人の家をツタ館に変えてしまっても意に介さない園芸主人も凄いが、自分の家を隣の家の寄生ツタによってツタ館に変えられても意に介さないツタ館主も凄い。す、凄いコラボだ。もちろん、根っこは現状保存したよ。


 というわけで、園芸主人のジャングルから朝、みーんみーん。ツタ館のツタの茂みの中から昼、じーじー。ってな具合で私のお家は蝉に取り囲まれてしまったようだ。


 おかげで、私の書斎での楽器演奏録音活動に支障が出ている。みーんみーんじーじーが入っちゃうのだナ。これは、もしや私の演奏活動を妨害するために差し向けられた工作か、と冷えた麦茶を飲み干し、眉間に皺を寄せ書斎の床に寝そべり考える。


 蝉よ、短い夏を謳歌したまえ。園芸主人のジャングルランドと、寄生ツタ館は、君たちの楽園である。君たちが夏を愛おしむように、私も、愛おしく、愛おしく、愛おしくて仕様がない。


 夏よ。