私のホームバーへおいで


 といってもこの最近、飲み物はチンザノとハバナクラブ3年しかない。ビールはある日とない日がある。毎日飲むわけでもないし。


 さりとて、酒のない人生とは、それは濡れ場のない恋愛映画のようなものである。


※飲まない人、飲めない人、御免なさい。濡れ場のない恋愛映画関係者の方、御免なさい。



 さて、ある夜、しめサバで飯を食っておったのだが、しめサバが余ってしまった。かといって翌日食うというのも、なんとなくためらわれる気がしたので、無理をしてでも食い切ることにした。気分を変えて飲みながら。


 チンザノとしめサバ、あるいはラム酒としめサバ、妙といえば妙な食い合わせだ。更に、私の許には、今が旬の信州産紅玉りんごが5・6個在庫されており、そいつも待ったなしで消費していかねばならぬ状況にあった。


 この時期、りんごにもいろいろな種類があり、それが短い周期で収穫期を迎えていく。紅玉は、まったく甘味の強い銘柄で支配されたかに見える日本のりんごシーンにおいて、そのキレのある酸味でりんごの本質を語る唯一無二の存在なのである。そして彼女(なぜか女性形なのだ)、とっても傷みやすい。傷付きやすく繊細な乙女。そりゃー今食っとかないと、食い逃します。なんか、ちょっと隠微な書き方になった。気をつけよう。


 更に更に、私には夏、とある曲の制作に使用した殻付きクルミの実とピスタチオも気がかりな在庫として残されていた。そもそも、なぜに曲の制作に殻付きクルミとピスタチオが必要なんじゃい、という疑問も感じないわけでもないが、それは間違いなく楽器です。はい。しかし、曲の制作の完了した今、それは食料である。これも計画的に消費していかねばなるまい。


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 というわけで、私のバーには酒としめサバとリンゴとクルミとピスタチオがファンタジックに配置された。やはり、しめサバの存在が妙に気になる。


 チンザノというのは、ワインにきっと香草のようなもので味付けをした酒なのだろう。と、気になって調べたところ、香草はニガヨモギだそうです。確かにそんな味がする。果たして、そんな味がするものとしめサバとの相性は、正直言って良くない気がするね。しかも醤油つけて食っているのが間違いなのか?


 なんとなく、口直ししようと、麗しく咲く、我が国の象徴、一輪の菊花をぱくっとつまんでみる。


 に、苦え。


 そういえば私は菊花を食うたびに、口がひんまがる苦さと、鼻腔に押し寄せる菊の茎をちょん切ったときのあの匂いに、もがき、食うんじゃなかったぁと後悔してきた人生史をコロっと忘れておった。馬鹿な男だ。これは食うものではない。ぼくの嫌いな食いものは菊花(体言止め)。間違いない。


 菊花の口直しに更にしめサバを食い、口の中に異様な苦さとチンザノとの相性の疑問符を残しつつ、煮え切らない感じでしめサバの皿は食いきった。無論、おつまも食った。


 続いてりんご丸齧り。さわやかな果実は酒の風味をもさわやかにいたすね。更にナッツ類。ナッツから滲み出るちょっとオイリーな風味は、こりゃまた酒に実に深い味わいをもたらすものである。世界の酒場という酒場につまみのナッツがあるわけだ。


 と、三杯ぐらい飲み、閉店である。今日はたくさんのことを勉強したのでよく覚えておこう。復習も忘れずに。


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付記


 翌日、私は二日連続で青魚を食うことにした(青魚ファン)。今回は丸干しイワシのフライである。頭から丸ごと食らいついておったら、骨が喉に突き刺さったようだ。苦しい。なんとなく青魚から得る教訓は深いぜ、と思ったので記しておく。


 く・苦しいぜ。