録音する


(前略)


 「失礼ですが御趣味は?」


 五月の明るい日差しが穏やかに降り注ぐ午後のティーガーデンで、ポットからカップへ二杯目のダージリンティを注ぎながら、真理子は良男に尋ねた。
 良男は英国式スコーンにイチゴジャムとクロテッドクリームを、やや不釣り合いなほど大量に塗りつけようと格闘する手を一瞬止め、真理子を眺め、それから視線を、ポット、カップ、スコーンと漂わせた後、伏し目がちに呟いた。


 「宅録です」


(後略)



 別に小説を書いている訳ではない。そんな芸はありません。趣味で音楽をやっているが、久しぶりに作品を録音されたものに仕立てようという気になった。数か月ぶりである。お宅のお部屋で、こちょこちょと楽器やら機材やらをいじくって作品を制作する、なんと日陰な趣味なことか。


 こういうことは間が開くと勘が鈍るものである。なにから手をつければ良いか迷う。そもそも以前に制作していた曲がいくつかあって、制作中にアイディアに行き詰って投げ出したまま今日に至っているのだ。 


 まぁ、自分なりに面白いものになるだろうと信じる気持ちが制作を最後まで導くわけだが、途中で、それを信じられなくなるというか、これ面白くならねぇだろ、という疑問が湧いてきてしまって投げ出すこともある。どうもしばらく表現全般に後ろ向きな気持ちになっていたかもしれない。


 なーに。面白いことはいくらでもあるし、面白さを表現できるさ。



 私の宅録制作は、アンサンブルの中核のほぼ全てを自演するということがテーマである。曲の構成などを決めてから、通常、リズム楽器の録音を行う。お部屋で太鼓、そりゃ、あんまり強打するわけにもいかぬ。今一つノリ切れないこの作業は大して面白くない。


 続いて、リズムに合わせ、弦楽器などの中でもリズムを刻む楽器、ギターのカッティングとかストロークのようなものを録音するのが通例だろう。


 で、そうすると今一つノリ切れずに録音されたリズム楽器群の演奏と音が陳腐に思えてきて、再度録り直すことがしばしばである。曲全体のリズムパターンが変わったりすることもある。どこかの土地の音楽っぽくなったりすると、私は大概、意図的にそう聞えないように変更する。リズムという奴は重要なのだ。


 などという自分の中に潜む論理などを思い出しつつ、音を重ねていく。気に入らぬ音は残らず、気にいった音だけが残る。進むにつれ面白さが増す。悪い趣味じゃないと思うのだが、自分がやっている音楽の内容と傾向(文化人類学系民芸ロックと呼んでいる)のことを思うと、伏し目がちに呟く良男の心の揺れを、頼む、わかってやってくれ、という気持ちになる。



 さて、真理子と良男の件であるが、一体、二人はこの先どうなるのだろうか。というか、そもそも真理子と良男の関係すら現状では明かされていない訳でもあるが、私といたしましてもそれは少し気掛かりな気もしないでもない。