「い」は移動式音楽班の「い」


 カバーしてみたい曲をあげつらっている。今日は「い」で始まるアーティストである。しかし既にあいうえお順でやるんじゃなかった、という後悔がある。まぁ、気にしないで行こう。


「い」と言えば、そりゃー五木ひろしでしょう。別に熱心なファンというわけではないが、山口洋子が書いた詞は好きだ。「よこはま・たそがれ」「長崎から船に乗って」「待っている女」「夜空」などだな。古いぜ、あまりにも。


五木ひろし - 夜空


 歌、うめーな、さすがに。子供のころは演歌とポップスというような区別なんて全然曖昧で、ただ「歌謡曲」っていうものだけがあったような気がするのだが、実際どうだったのだろう。歌謡曲はプロの仕業で、フォークやロックなどのカウンターカルチュアは、もっと素人的な、感性と勢いで勝負的な感じに思っていたのだが。

 あまりにも感性だけの作品ばかりがシーンを席巻すると、プロの作品が恋しくなるし、その逆も然りだ。その辺の文化闘争は私個人の中で常にせめぎあっている気がする。今は五木ひろし作品のようなプロ作品が心地よいバイオリズムである気がする。


 ♪あああぁぁ、アきらめた、コいだから、ナおさらアいたいアいたい、もいちどおおお


 片仮名で綴った箇所の強烈なアクセント、私の高校の音楽の恩師は、音符のアクセントを越えて詞の解釈で音楽世界を作っていく表現技法として、こうした技法を「言い直し」と呼んでいた。昨今流行の歌い回しは、言い直しをすればパンチが乗り移るポイントを、抜いたように歌う歌い方で好みではない。田舎のスナックのエコーギンギンのカラオケ音響なんかがよく似合う歌い方だ。やーらしい。


 で、どうカバーしたいのかと言えば、喉も破れんばかりの強烈な言い直しで、最後絶叫で、やべぇ、決まるぜ、という一歩手前で声が裏返る、男の悲哀全面展開。


 次。


Mamavatu - インドの宗教音楽


 「い」といえばそりゃーインドの民謡でしょう。苦しいな。だからアーティスト50音順でやるんじゃなかったと思う訳です。分類苦しいっす。

 民謡と言っても、これは宗教音楽であろう。サラスヴァティー女神(ヒンドゥーの芸術神)を讃えているのか、祈っているのか、そんな歌である。で、この曲をスシーラ・ラーマンという女性アーティストがカバーしていてそれが滅法良かった訳だ。こういうカバーをやってみたいものだ。私はインドに太刀打ちできる気はあんまりしないのだが、オケがフォークで、歌がインドという、こういう表現を聴いていると、道も、いろいろと進みようがあるものだという気になる。


Susheela Raman - Mamavatu



 次。


いろ、なつ、ゆめ - 石川セリ


 ダンナは井上陽水。80年代の半ば頃か、凄くモダンな音に思えたものだが、今聴いても良い。水面に波紋が広がっていくような導入部が素・敵。
 まぁ、自分で歌います、というような暴挙・愚挙に出るようなことはしません。当然です。甘美なイメージがズタズタになります。こういう声のバックで、生楽器を駆使し、水面に波紋が広がっていくような音を奏でられたら、さぞ、心地よかろうと思う訳です。背後で糸を引きたいという老境のいやらしさである。


 続く。次は「う」。「い」、これで良かったのか?