「う」はウンベルト8世の「う」


 カバーしてみたい曲をあげつらうという、ちょこざいな企画である。今日は「う」で始まるアーティストである。すげえ!もう「う」まで来たよ!「あ」から始まってもう「う」だよ!


 しかし、50音順にして本当に失敗した。洋楽のレコードがあいうえお順に並んでいた昔の地元のレコード屋を思い出す。U2が「う」の棚にあったりするのだ。「うに」とでも呼んでいたのか、教えてくれよ、店主よ。
 


有頂天 - 心の旅


 別にカバーしてみたいわけではないのだが、一応歴史的なカバー曲ということで、その所業を振り返っておく。チューリップの「心の旅」のカバーであるが、まぁ、その心はDEVOでしょ、という風にも思える。彼らにも「サティスファクション」の超カバーがあるな。


 80年代の中頃か、確かキャプテン・レコードから発売された7"EPは日本のインディーズ史上初となるナショナルチャート(オリコンね)入りをしたのではなかったっけな。何位かは知らないが。


 ちなみに中学生の時、校内にフォークソングクラブという課外クラブがあり、文化祭のステージなどで演奏を披露していたのだが、一級上の上級生たちが「心の旅」を文化祭で演奏する際、


 ♪あぁ、だから今夜だけは君を抱いていたい


 という歌詞を、君のそばにいたい、と学校側に改変させられて歌っていた。検閲であり、著作の侵害であり、表現の自由への重大な挑戦である。日本国憲法を教える資格はない。ちなみに私のギターの腕前は、当時から大して進歩がない。



ヴィッキー - 恋は水色


 困っちゃうんだよなぁ、ヴを「う」で扱うべきか否か。50音順大失敗だよ。「ん」までやたら長いしさ、ラテン・アルファベットにすりゃあよかったよ。とりあえず気分で、ヴィッキーは「う」、ヴェルベット・アンダーグラウンドは「へ」で扱うよ(以上筆者独白)。


 ポール・モーリアのインスト曲で良く知られた曲だと思うが、なんでもユーロビジョン・ソング・コンテストとかいうヨーロッパ音楽祭のようなもので、ギリシャ生まれのルクセンブルク代表ヴィッキーによってフランス語で歌われ(複雑ですな)、賞をとったものなのだとか。その現場の映像ですね。


 この清廉さ。そして流麗な旋律。更に途中でドコドコ入ってくるドラムのフィルインのスパイシーさ。まったく非の打ちどころのない曲である。ポール・モーリアでは感じない南欧的な情熱を、ちらりと感じたりもする。こういう名曲はどんな演奏をしても許してくれそうだが、ドラムのフィルインだけはそのまま導入したいところだ。とってもお気に入りなの。ん?ボーカルは、自分で歌うわけにいかないよな。bleu, bleu, l'amour est bleu. 青、青、愛は青、だなんて、なんと爽やかな。無理。



ウラジーミル・ヴィソーツキィ - マイクを前にした歌手


 また有声子音のVで始まる人だよ。Vladimir Vysotsky ヴラヂーミル。


 このソヴィエト時代のロシアの、抗う歌を叫ぶシンガーの曲は、私にある種の感情を呼び起こす。昨年か、村上春樹エルサレム賞とかいう文学賞の受賞式で行った「壁と卵」と題したスピーチがあったが、まさに、壁に立ち向かう卵側であり続けるステイトメンツであるというか、その荒々しさというか。


 歌うたいというものは基本的にアウトサイダーで、観察者であるものだという気もするが、役者でもあった彼は、本当に、卵そのものであるように、歌を通して存在を投げかけてくる。


 カバー、とかいう品の良い言葉でなく、表面の演奏・編曲をすげ替えただけのものでもなく、いつかむきだしで歌ってみたいものだと思う。ソ連の体制下で生きた彼と、自由で公正で民主主義の行き届いた上品で上等なジャポン国(大筋で皮肉です)とでは背景が違うでしょ、と、私は首肯しない。それも「壁と卵」なのだろうと思う。


 ちなみにヴィソーツキィのギターは7弦で、特殊なチューニングで、聞いていても、何を弾いているのか私にはさっぱりわからない。


 続く。次は「え」。え、えぇ〜?