2009年の夏


 手術に踏み切ることにした。この3年くらい、どーしたものかと迷っていたのだが、決めたよ。俺は決めてしまったのだぜ。



 親知らずを抜く。



 なんだ、そんなことか。あぁ、そんなことさ。医師の解説によるとオペは30分コースのひどく苦しい激闘になるだろうとのこと。口開いてられるのか、俺。


 「ま、オペの最中は麻酔が効いているので痛いことはありませんが、引っこ抜いたその後、ずぃんずぃん痛んで、頬は腫れあがり、顎は痺れ、ま、3・ 4日は仕事にならないでしょうヒッヒッヒ。どうしますか?是非抜きましょうよイヒヒ。抜くべきだと思いますよウヒッヒッヒ。」(医師談)


 まぁ、そうした医師の魅惑的な助言に後押しされ、抜くぜ、という意思を貫いてきた。その日は24日です。盆中は飲み食いすることが多いので、何が何でも盆明けという賢明な作戦なのである。



 その盆であるが、まぁ、実家に顔出して、帰省してくる姉達と飲むことになろう。まったく連中ときたら、ビールにも氷、ワインにも氷、という実におぞましい飲酒習慣を保持し、会うたびに私が懇々と説教を垂れるにも関わらず、ちっとも改める気配もない輩である。


 例えば東南アジアなどでは、冷蔵庫があんまり普及していなかった時代があり、わざわざアルコール度数高めに醸造したビールに氷を入れて飲むような習慣もあったと、かつて聞いたものだが(今は知らん)、このジャポン国では冷蔵庫でビールを冷やして飲めば良いだけのことである。電化生活である。愚かなり!姉共!!


 ワインに至っては、製造工程で基本的に一滴の水も使わずに醸造しているもの(ぶどう果汁のみ)を、わざわざ氷で薄めて飲むとは言語道断!ぶどう踏みの乙女たちに謝れ!!(※脳内イメージによると、ブロンドやブルネットの満18歳未満の可憐な乙女達が「きゃは」などといいながら樽の上で、蝶がひらひらと舞うが如くぶどうを踏み踏みしているのだ)



 さて、そんなことで恐らく脳内ぶどう踏み乙女達を熱烈擁護する戦いを繰り広げた翌日には、高校時代の学友達と湿気った山岳地帯で炭焼き肉を食ってビールを飲んで寝泊まりするという企画(キャンプともいう)に出席する予定である。


 私は、も、ほんと、海が嫌いなら、山が嫌いなら、都会が嫌いなら、勝手にしやがれ、って感じの今日も涼しいニヒルな馬鹿野郎だったりするので、キャンプなんて企画は全然好きじゃなかったりするのだが、その割には現場では結構、誰よりもノリノリだったりするので、そんな自分のキュートな一面に、翌朝、宿酔いで頭がガンガンする中、自己嫌悪感を催したりするのが、それもまた夏の恒例行事なのだ。



 んで、その翌晩は、近郊の花火ナイトに赴くのが慣例である。


 焼き肉屋の前の路上に腰掛け、河原の方を見やれば「ずどーん、ひゅるるる、ばん、ぱらぱら」などと起承転結的描写で綴ってみた夏の大輪の花火光景が繰り広げられているかというと、正面に4階建て建造物があり、ろくに花火が見えなかったりするのだが、では、なぜそんな立地の悪い路上に腰掛けているのかというと、花火終了後にその焼き肉屋へ行くからである。で、前の晩もキャンプでさんざん一緒に過ごした連中と、またしても飲食するのだ。まったく仲の良い連中だな。豚足を食って、適当に臓物類を食う、赤身肉はなぜか禁止、という会である。



 その翌日は、そうさな、晴れたら庭の雑草など抜かねばなるまい。今年は抜こうとすると雨ばかり降って、雑草ぼーぼー、薄気味悪い苔むしむしなのだ。


 そして、夏の期間を通して、ちょっとした企てのために精進せねばなるまい。ライブやってみる気になってきたので、弾けるように練習する。アレンジもするので数ヶ月を要するだろうが、そうした目的に向けて一歩踏み出すことは、わくわくすることでもある。


 そしてそして、そんな夏の果て、気がつくと力技で奥歯を引っこ抜かれているのだろうか。