作戦C


 カバーしてみたら素敵そうな曲を取り上げてみている。今回は“C”で始まるアーティストの楽曲が対象である。


やさしい悪魔 / キャンディーズ


 いや、別にキャンディーズの他の曲でもいいのだが、この曲も捨て難いものがある。


 で、あなたはランスウミキのどの娘がお好み?という、まったく70年代を席巻した娘三択を今更持ち出す私も、まったく70年代に目が眩む世代なので仕方が無い。ん?私はすみませんランちゃんです。許して下さい。


 キャンディーズの音楽は大人になってからきちんと聴いたものだが、ピカピカしていてよい。文化人類学系民芸ちゃんぽんロックという辺(どんな辺じゃ)が私の目指すサウンドな訳だが、キャンディーズサウンドはそうしたたわけな方法論で汚してはいけない。目指せピカピカ。というか、三人娘の後方で弾くとか、人生で未だ経験の無い事態なだけに、そうした見果てぬ夢に浸りたいのだ。浸らせてくれ。




陳明章 / 戀戀風塵


 台湾映画の泣ける佳作、「恋恋風塵」(侯孝賢監督)の音楽である。やはり台湾の陳明章(チェン・ミンジャン)というシンガーソングライター、音楽家によるものだとのこと。


 映画もさることながら、私はこの曲の美しい旋律と、風のような雰囲気がたまらなく好きで、聴いていると、まぁ、それはもともとの映画、少年から大人になる間を淡々と描いたもの、のせいでもあろうが、自分の人生必ずしもいろいろとうまく行かなかったことなど、映像付きで思い出されたりしてきちゃったりする厄介な曲でもある(そういう曲が人には何曲かあるものだろう)。音楽が誰かにとってそんな風なものであるということは、すごいことなのではないだろうか。カバーして作品にしたいというより、ただ、ただ時間を忘れて弾いてみたいと思う曲なのだ。



Chantal Goya / Laisse-moi


 映画つながりで、ジャン・リュック=ゴダールの「男性・女性」という映画の挿入歌である。学生の頃、テレビの深夜映画で見て熱狂したな。シャンタル・ゴヤは新進の歌手役で出演し何曲かフィーチュアされている。まったくゴダールの女の好みは最高だと思うのだが、この白黒映画の、黒髪おかっぱのシャンタル・ゴヤもとても可愛らしい。


 一聴したところゲンズブールの曲か?と思う節もあるが、Jean-Jaques Deboutという人の曲である。初期のThe Whoの太いサウンドなんか思い出したりもする。時代だろうか。可憐な声にちょっとパンクな演奏(当時)を合わせるという、今やある種定番的な攻め方だが、サウンドの質が高ければやはり起爆力はあるね。無論、現代における最前衛なパンクサウンドでカバーしたい。しかし、現代における最前衛なパンクサウンドがどんなものなのかが私にはわからないので、誰か私に教えてくれ。



Claude Channes / Mao-Mao


 更に映画つながり、更にゴダールつながりで「中国女」という映画の挿入歌(主題歌扱いか)である。学生の頃、学生自治会が企画した映画上映会で見た。80 年代の後半頃で、まだその頃は全共闘的な行動理念を持った左翼学生が知り合いにもいたものだった。三里塚闘争への参加を呼びかけるビラなんかも流通してたし(必須の持ち物は角棒、ヘルメット、マスク、サングラスだったろうか)。


 革命を標榜する左翼的な生き方の是非はともかく、当時は校内に定住して暮らしているボヘミアンな女学生とか、ちょっとイカレた生き方も可能だったのだが、現代の大学にその程度の、最低限の自由があるのかは知らない。が、その程度の自由を主張する権利は若者にはあると思う。夢を追うのが若者の仕事だぜ。若者に夢を追わせてやれない政府は取り替えるべきなんだぜ。権力にたてついて、校内で暮らして、何が悪い!


 というわけで、マオ・マオといっても浅田の真央ちゃんじゃなくて、毛主席の方であるな、この曲は。まぁ、私はどっちかというと毛主席よりは真央ちゃんのことを考えている方がずっと楽しかったりするし、毛主席の肖像を拝むよりは真央ちゃんの肖像を拝む方が、彼女、ちょっと観音様に似ていて、ありがたや〜と思ったりするし、しかし、曲自体はスパイシーなロックで良いと思う。


 これも現代における最前衛なパンクサウンドでカバーしたいところだが、現代における最前衛なパンクサウンドがどんなものなのかがやはり私にはわからないので、頼む、私に教えてくれ。先へ進めんのだ。



Capercaillie / At Dawn of Day


 カパケリーはスコットランドのグループだと記憶するのだが、伝統的なものからコンテンポラリーなアレンジまでこなす実力派だと思う。


 例えば、エレクトリックな楽器で火花が散るようなサウンドって、結構容易に表現できたりすると思うのだが、アコースティックな楽器でも案外可能だと思うのだ。しかも、低温のしけた火花から、高温のパチパチした火花まで、案外可能だと思うのだ。で、この曲のソロなんか聴いていると、私には冷たくて、しかし熱い(どっちじゃい)、火花をバチバチ感じちゃうのだね。この曲をカバーしたいというより(こんなソロ弾けないし)、そんな、音で火花を散らしちゃうような演奏、してみたいと思うのだ。


 続く。次は“D”。Dにはビッグネームが目白押しだぜ。