親知らず


 昨日歯を抜いた。親知らず。ちなみに私が歯を抜いたことを親は知らない。


 「30分くらいかかる」と事前に告げられており、その間、口を開けっ放しで奥歯にオペレーションを施されるとは随分苦しそうだな、と思っておったのだが、治療台に腰をおろし、一通りのコースを完了し、今後の身の振り方諸般の説明を受け、治療台を離れるまでが約30分だった。正味10分程度というところか。楽勝であった。


 下の歯の親知らずなのだが、横向きに倒れて隣の奥歯に向かって生えちゃっているということで、隣の奥歯が邪魔でそのままでは引っこ抜けないため、歯茎を切り、奥歯に隣接する親知らずの半分を切断し、出来た隙間を利用して残りの半分の歯を引っこ抜くというプロセスであった。無論、私は見たわけでもなんでもない。そういう解説である。


 しかし、口中麻酔され、布切れで顔面を覆われ、何が進行しているのか私にはまったくわからない。マシンが「ウイーンウイーン」と唸っていやがるなと思っていたら、あごを押さえられ力業を加えられ、一体クライマックスはどんなことになるのだと思っていたら、その力業こそが引っこ抜き作業であった。意外とあっけない。


 それから切開した歯茎を縫い、オペは一通り完了した。一番痛かったのは最初の麻酔注射であるから、いかに痛くないかが知れるというものだろう。


 2時間ほどして治療したところがじんじんと痛んできたが、痛み止めを飲んだところすぐに治まった。しかし晩飯、さすがに飯は食いづらく、噛む動作をすると縫ったところが引きつるような、いやな感じであった。そのいやーな感じに耐え、私はきちんと飯を食い、アジの干物を食い、味噌スープを食い、ゴーヤチャンプルーを食い、モロヘイヤのお浸しを食い、食後にはせんべいを二枚食い、ナツメ椰子の実を二個食い、茶を飲んだ。


 まぁ、とはいえ、やっぱり歯を抜いた晩はウェルダンのビフテキや、炭焼きバーベキュウ・パーティや、カチンコチンのバゲットや、食後の草加せんべいだけは避けた方が賢明だと思う。あと真っ赤な韓国料理。おっとタイ料理も。お酒は駄目だそうです。飲み助は注意だ。


 そんなことで現在、下あごの抜いた付近に腫れはあるようです。頬から顎にかけて触るとわかります。痛みはありませんが、重苦しさと引きつり感は若干あります。清々した実感はまだあまり湧きません。



 私は歯医者で治療を受けることがもともと別に嫌いではないのだが(客観的に考えて、それはほぼ無痛の治療である)、今回の一件でも思っていたよりも楽でほっとした。順調に回復したいものだ。そして、常にサウンドに耳が行く私にとって、歯医者における音響はなかなか魅力的なものがあると思っているのだ。


「ウイーンウイーン」
「キュウーン」
「シュルシュル」
「ガガガガガ」
「ゴリッゴリッ」
「ガシュッ」
「えーんえーん(チャイルドのスクリーム1)」
「ぎゃー(チャイルドのスクリーム2)」


 など。


 見よ!(いや、聴け!か)この無機質でインダストリアルな響きと、オーガニックでヒューマンな人間の魂の咆哮の交響楽を。


 歯科医にしてミュージシャンという人はサエキけんぞうなどが挙げられるが(他には知らないが)、歯科のサウンドを全面的にフィーチュアしたミュージシャンというのはいないものだろうか。或いは「歯科治療室の音」のような環境音的なCDくらいリリースされていないものだろうか。用途は、よくわからないが、あらゆるサウンドは収集されライブラリーにされねばなるまい。