さらば「私の仲間」よ、いやいや、また会おうじゃないか


 このところ、がっかりすることもあり、喜ばしいこともあった。複雑だ。今日はがっかりしたことを綴る。


 どこかのお店の常連になる、ということがどうもあまり好きではない。


 のれんをくぐるなり、


 「あら、移動式(芸名)さん、いらっしゃい、いつものでよいかしら」


 などと言われるのが嫌だ。俺の名を呼ばれることも嫌だし、いつものでよいことなどもちっともない。俺の辞書に「いつもの」はないのだ。


 まぁ、話の成り行き上、更に飲み屋について語ると、まったく飲み屋のシステムというものがさっぱりわからない。会計の不明朗さ、妙な源氏名を名乗る従業員、母でもないのにママ、さりとて店主をパパとは呼ばぬ、ママの下にはチーママ、お店の名前は「夕子」なのに従業員に夕子がいない、などなど、腑に落ちないことばかりの落ち着かないところなのだ。おっと、飲み屋の話をしたい訳ではないっす。


 そうはいってもそんな私にも馴染みのお店があるのだ。それは非常に大衆的、下層民的なフレンチ・ビストロであり、しかし、まったく流行っていない。そして、そこへ通うには山を一つ越さねばならないので、私としてもそうそう通い詰める訳にもいかないのだが、どうも妙な食材がメニューに幅を利かせていて、馴染みになってしまったのだ。


 しかし、その店が閉店することになった。まったくの不景気である。飲食業も辛かろう。なかなか流行っていない店だったので心配していたのだが、遂にその日が来てしまった。ということで、最後の仕入品や、冷蔵庫・冷凍庫の在庫から料理を作っていただく。

  • サマートリュフをあしらったオムレツ(それは黒トリュフよりもずっと控えめな香りだ)
  • スパゲッティ、エゾ鹿とボルチーニ茸のソース(この店では随分野禽をいただいたものだ)
  • 仔牛の脳味噌のソテー(この店では随分臓物をいただいたものだ)
  • デザート


 なんと魅力的なメニュー。そしてその店はもう閉店なのだ。


 「冷凍庫から仔牛の脳味噌が一個出てきたのですけど、移動式(芸名)さんが絶対召しあがってくれると思って取っておいたんです」


 などと言われて、私はしみじみとお店の常連になることの喜びを知るのである。あぁ、もちろんその脳味噌は、俺が、俺が食うよ!ナミダ味の脳味噌だよ!!



 度々、実家(農家)で採れたという野菜をいただいたものだが、その日もししとうをたくさんいただいた。ありがたいじゃないか常連。


 今は、あまりにもひどい景気のため、一度撤退しますが、3年もしたらまた小さく始めますよ。移動式(芸名)さんにも必ず連絡しますから、とのこと。私もそれを望みます。そして、豚足の煮込みレンズ豆添えや、背開きにしたウサギのローストや、仔羊の心臓の丸焼や、漬け込んでいたら発酵し発泡して酒税法に反する状態になっているのかいないのかそれは言えねーなーという状態になってしまった洋梨のワイン漬けなどを、また味わわせてほしい。そして、月並みな言い草だが、人と人との結びつきは大事にしなければいかん、と思う、三国一の薄情者の俺なのであった。それを教えてくれてメルシー。私の仲間よ。