臓物のメロディ 臓物のリズム

臓物のメロディ 臓物のリズム



曲を制作してみました。

一般に流通するポピュラー・ミュージックの尺度で比較すると、若干長めの曲ですので(約7分半)、
お時間がありましたらお聴きいただけると喜ばしいことです。感謝いたします。


移動式音楽班「臓物のメロディ 臓物のリズム」


作詞:俺
作曲:俺
演奏:俺


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ぼくの好きな食べ物は肉


(ある小学生の作文より)

 昔、小学生の作文コンクールの入選漏れ作品(むしろ落選作品と言う)にお兄さんからの励ましの声を手書き記入して返してやるというバイトをしたことがあった(極短期)。その際に、子供が作文中発していたストレートでけれんみのない一言が胸に焼き付いているのだ。


 ボーイ。わかった。お兄さん(当時)、良くわかったぞ。君は肉が本当に好きなんだ。だけど、ボーイ、体言止めは感心しないぞ。いや、ストレートなインパクトをお兄さん(当時)個人は歓迎したいのだが、体言止めは教育制度の中では評価されにくいんだ。「肉です」と「です(=用言)」をつけて綴ろうね。しかも、この作文コンクールのテーマは「海と魚について」じゃないか?ダイナミックに肉主張をぶっ放してる場合じゃないだろう。でたらめじゃないか。世渡りしろよ。まったく子供ってぇやつは。


 さて、子供をして体言止めで好きな食べ物は肉と主張させるのであるから、肉というものは、それはもう、この世の真実のひとつなのであろう。思えば、この日報も長くダラダラと続いており、その中ではかつて、様々なこの世の真実が展開されてきたものだ。ブログ内検索をちょろっとかけてみると、おお、既に肉の真実性について語っておる。更に、ビールとイモアイスクリームなどもこの世の真実として語っておるぞ。うむ、それは真実であろう。自分自身のブレのなさにびっくり。


 私であるが、肉も喰らうのだが、その態度は体言止め小学生ほどのものではない。大声で絶叫したいほど好きなものといえば、むしろ、真っ赤なトマトとか、熟れたマンゴーとか、冷えたビールとか、インド人が注いでくれるミルクティーとか(つまりチャイ)、台湾人が注いでくれる烏龍茶とか、私は喉も破れんばかりに絶叫できるであろう。好きだぁー!!お前が。(倒置)


 肉で目を輝かせるものというと、私にとっては羊と鴨である。日本で暮らしておるとあんまり食う機会がない。機会がないゆえに、連中の出方というか、考え方というか(考えてねーだろうけどさ)、まだまだ学ぶべきところで一杯だなと感じる。食う度に。そう、私は食うことを通じて成長したいのである。腹を突き出したいとか、そういう意味ではない。


 臓物もよい。部位によって味わいは違うが、動物の身体の一部分を食っていることが認識できてよろしいと思う。そこにはそれぞれの味わいというものがある。薄くスライスした肉や、ミンチにした肉を団子にしたものなど、それは身体の一部分を食っている感覚から遠く感じられるのだが、例えば骨付きの肉ならばそれよりも動物の身体の一部を喰らっていることをリアルに感じさせるし、臓物は更にそれを意識させる。駄目な人には駄目らしいが、まぁ、とにかく中身が白日の下さらされている状況で、私の五感は活動を開始する訳だ。小学生の言葉を借りるなら「ぼくの好きな食べ物はモツ」ということになろう。結構だ。


 臓物を喰って出来た曲という訳ではないし、肉食全般について歌いたかった訳でも全くないのだが、臓物を喰らう俺が作った曲ではある。


 何と申しましょうか、カーニヴァル的な、そういう曲です。