冬の終わりに際して


 もう冬なんて終わりだもんね、と、この冬をすっかり見切ったつもりになっておったら先週末から今週頭に積雪しやがった。まぁ、しかし、終わりも同然だ。季節は移ろうもの、そういうものだよ。すぐに太陽が眩しくて、田舎では緑がきらきらして、都市ではビルのウィンドウに太陽光線が乱反射のシティ派な光景を繰り広げる、と、そういう季節になる。断言する。


 さて、私の生まれ育った地域の冬は寒冷な気候であり(1・2月の平均気温は多分マイナスだな)、私は人生を通じて私の暮らす地域よりも寒い気候を体験したことがなかったのだが、何年か前の韓国ソウル旅行で、やってらんねぇコールド地獄を味わった。マイナス10度以下。日中もほとんど気温が上昇しない感じ。昨年の冬にも赴いたのだがその時はそこまでではなかった。


 私の町近界でもマイナス10度くらいは襲来するような気がするのだが、日中はそれでもマイナス2とかに若干の上昇を見せると思う。そして、まあ、そういう時には屋外活動を極力しない。しかし旅行者というもの、街を闊歩せざるを得ない事情である。マフラーなどを顔面に巻きつけるなど保護しないと、顔が痛いのね。寒すぎて。それが一国の首都、人口1000万人をも上回ろうかという大都市で体験できたのだから、う〜ん贅沢プレミアム。


 しかし、それを境に、私は寒さに対してやや強くなった。人間、自分の慣れ親しんだワンランク上のステージを体験すると強くなれるものである。例えば、日本代表のサッカー選手なども、海外でプレーすることでますます逞しく変貌したりするその姿が眩しかったりする。それ(サッカー中心の価値観)。


 この冬もその寒さが話題になったものだが、私としては実にふてぶてしい態度で乗り越えた模様である。大体、冬には冬の味覚が堪らなかったりするし、悪いことばかりでもなかろう(食中心の価値観)。


 従来、寒いと楽器弾く指が、ただでさえ動かないものがますます上手く動かなかったり、隙間風の侵入になすすべもない老朽家屋である我が家の我が書斎、すなわち通称「悪趣味の部屋」でのオリジナルサウンドの創作活動(失笑)に支障を来したりもした。そうした点は冬を積極的に評価する気を減退させて余りあるところだね(芸術中心の価値観)。


 だが、そんな中で寒さに対してやや強くなった私は、この冬、一貫して我が書斎にて楽器を弾いたものだ。オリジナルサウンドの創作活動(重ねて失笑)である。この冬の思い出といえば、そんなところである。この日報が音楽日誌なのだと改めてしみじみ認識するに至るね。


 ちなみに真冬に韓国行った際、帰路の空港の電光表示によるとモンゴルのウランバートルは日中マイナス28度とかだったので、更にワンランク上(下?)、逞しく変貌して眩しかったりしちゃいたい方はウランバートルを目指すと凄く良いと思う。冬に。雪山の頂上の吹きっさらしのような都市だな。


 ちなみにグーグルマップでウランバートル付近を見ると、ゲル(モンゴル人のテント)の丸屋根ばかりだぜ。至近に固定式の家屋があるのに同じ敷地内にゲルと言う感じで、遊牧の血筋のこだわりと申しましょうか、機会があったらお邪魔したいぜ。その固定式と移動式との間に、どんなジレンマがあるのか、何らかの社会問題が顕在化しているのか、はたまた何も考えていないのか、一度、じっくりとお話をお伺いしたいものである。



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 ちなみに最近はこんな感じらしい。きっと随分暖かくはなったのだろう。そして一体、夏の気候も気掛かりである。