庭は野に帰る
<使用した道具>
- フォークギター(中学生時代から使っている)
- フォークギター(知人からの貰いもの)
- マンドリン(国内の今はない楽器屋で購入)
- チェロ弦ギター弓奏・撥奏(クラシックギターのフレットを抜いてチェロ弦を二本張ったもの)
- ソプラニーノ・リコーダー(国内のちゃんとした楽器屋で購入)
- ドーラックというインドの両面太鼓(国内の民芸品店で購入)
- ダルブカというワイングラス型の片面太鼓(トルコ、イスタンブールの楽器屋で購入)
- ダウルという両面太鼓のミニチュア(トルコ、イスタンブールの楽器屋で購入)
- インドのマラカス(国内の民芸品店で購入)
- びんざさら(飛騨高山の土産物店で購入)
- ベトナム製らしき木の玩具(国内の民芸品店で購入)
- プーイリという先端にスリットの入った竹(ハワイイ土産の戴きもの)
- ブンカウというボルネオの竹製口琴(マレーシア クアラルンプールの民芸品店で購入)
- 糸擦り太鼓(国内の民芸品店で購入)
- 木琴(実家に伝わる)
- 木製カウベル(タイ、チェンマイの土産物店で購入)
- 葉っぱ(自宅庭で採取)
- BOSS SP-505 サンプラー
二本のフォークギターの調弦は6弦からEADEAD(カポ3F)、但し一本はナッシュビル・チューニング(12弦ギターの細弦を張る)になっています。マンドリンは4弦からGDGD(グダグダ)。
植物というのも非常に不思議な生命体に思えるものです。
私の隣人のガーデンは毎夏密林になり、それはガーデン、庭園、庭などというものを完全に超越した世界になるのです。また、そこに至る撒きっぱなし、植えっぱなし、手入れ一切なしという清々しい放置プレイっぷりは園芸、耕作、ガーデニングに対する市井の市民が抱く一般的な概念をやはり超越していると言えるでしょう。恐らく、そこに生息する昆虫や小動物の類なども併せ、新たな環境適応の場となっているでしょうから、いずれ新種の発見、などという期待も高まるというものです。小路に激しくはみ出した草木との接触を厭うこともままならず、通学中のお子らが「うわっ」「すげぇ」などと無邪気さの向こうに、自然への畏怖或いは放置式園芸への漠とした憎悪などをかすかに漂わせた嬌声をあげつつ、今日も行き交い、夏は進行していくのでした。
ちなみに隣家から我が家への放置植物の領空侵犯ないし領土侵入に対しては、私は情け容赦なくその部分をすぱっとカットします。どうせ放置してるから、どんなにちょん切ろうと気付きやしない。
隣人の習性を曲にしたわけではありません(彼が主人公と思うと、到底ペンを取る気が起こるものではない)が、こうした曲ができました。
曲中唱えられる植物のいくつかは私の家の小さな庭でも栽培され自家消費されています。また、曲中唱えられる類感呪術の類は、まぁ、日常生活で大々的に致すことはありませんが、こうしたタイプの音楽を制作していることそのものが、ある意味、そうした行為の代償的な行動ではないかと、しきりに感じることはあります。
もしよろしかったらお時間のあるときにでもお聴きください。