戦後日本における狩猟の一エピソード


 終戦後しばらく、昭和20年代後半頃、長野の田舎町での話を伺う。


 天候不順などによる、いわゆる飢饉で飢えるのは農産物の生産地である地方の田舎であり、戦争で飢えるのは消費地である都市・都会である。戦中・戦後の食糧難と言われる時代を通じて、都会とは違い、このド田舎では必ずしも食うに困る、という状況ではなかったらしい。


 とはいえ、なんでもかんでも豊富にあったわけではなかったようだ。蓄肉もその一つ。
 今ほど食事に占める肉の比重の高くない時代だったことだろうが、それはそれ。やはり時には力いっぱい肉が食いたくなるものらしい。特に血気盛んな若衆にとっては顕著なことであったことだろうと容易に察せられる。


「肉喰いてー!」


 ま、カネと色と肉は成人の三大欲だからな。さりとて、高価な肉にはおいそれと手を出せぬ。どーしたものか。


 そこへ誰がどこで聞き及んだものか、朝鮮や中国では犬を食うらしいぞ、という情報が流れる。犬は赤犬に限るぞよという情報ももちろん付帯してだ。


 ここに血気盛んなる若衆数人参集し、一見野犬狩り風の体をなしつつ、その実、赤犬これ一本に狙いを定め、付近一帯で探索活動を開始する。首尾よく仕留めたる赤犬、腕に覚えある若衆、ちゃっちゃ・ちゃっちゃとこれをさばき、犬鍋にして皆で召し上がる。


「肉サイコー!」


 あそこで赤犬が出た、と聞けばあそこへ、こちらで赤犬を見た、と聞けばこちらへ、しばらく赤犬狩り&犬鍋サイコー会が続いたと言う。女衆は半ばあきれながら眺めていたらしい。


 現代の常識では卒倒する話だろうな。
 まぁ、まず愛犬家および動物愛護の立場から強い、非常に強い指弾を浴びよう。続いて、野良犬を鍋にするとは衛生的にダメ絶対、と保健・衛生的見地からも強い懸念が生じるだろう。ワイドショーも取材に来るかも知れん。そして連中の常識を振りかざすだろう。なにより、家族からはあきれ果てられるだろう。


 察するに、肉食いたさはもちろんあっただろうが、皆で獲物を追いまわし、仕留めた獲物の鍋を皆で突付くという楽しみも大きかったのではないかな。時代背景など総合すれば、これは私の感覚では大目にみてやれる微笑ましいエピソードだ。


 その後、食糧事情の好転と、辺り一帯で赤犬を取り尽くしたためか、はたまた「あの辺りへ行くと喰われるぞ」という情報が赤犬側に伝わったか、いつの間にかそんなイベントは消滅したと言う。今日、犬喰らい若衆団体は少なくともオーバー・グラウンドでは私の視界に存在しない。


 私はと言えば、犬を食ったことはない。が、かの若衆どもを見習って、いざというときには仕留めた獲物(何だろうが)をちゃっちゃ・ちゃっちゃとさばける男にはなりたいぜ。
 そのまえに獲物を仕留める能力が圧倒的に足りないのだが。