ジャケ買いレコード評、韓国編(2)



 前回が折り目正しいフォークソングだったので、今回はちょっと激しそうなものへと向かってみたい。中学生が急にワルくなりたがる心境に近いね。ロックだぜ。エレキだぜ。


 んで、コレ。


 これは爽快に解読可能だ。HONG SOO CHULの『'86 NEW ALBUM』である。シンプルながら斬新なタイトルだ。つまり、ということは1987年にリリースしたアルバムは『'87 NEW ALBUM』であり、2006年にリリースしたアルバムなら『'06 NEW ALBUM』なのだろうか、ということだ。とすると「俺って常にNEW ALBUM、ヨロシク」と、実に後ろを振り返らぬ姿勢がびんびんに伝わってくるではないか。


<予想>


 さて、1986年というと韓国では開会式で大量の鳩ちゃんたちを焼いてしまった、あのソウル・オリンピックの2年前にあたる。韓国も今ほどには世界経済への影響力を持っていなかった時代である。大体、都市のインフラ整備が行き届いた先進国以外で国家的なイベントが開催される場合、それに合わせて大量の土砂やコンクリートが投入されて、道だ、線路だ、立ち退きだ、とモーレツな開発が行なわれるものである。アジア地域では非西欧的な慣習も覆い隠される傾向がある。韓国でも当時、露天の追放とか、ニセモノブランド品商いの摘発とか、犬肉料理屋を目立たないようにするとか、そんなニュースを目にした記憶はある(今は北京周辺で同じような現象が起こっているのだろう)。


 そこで、彼。ジャケットを見て欲しい。夜、サングラスをして運転(危ねーぞ)、付近にはなーんにもなさそうな荒野の幹線道路端、背後に車の灯り。これらが物語るのは、開発によって、今まで道なんかなかったところにこんな道作りやがって、便利になったように見えるが、おかげで村の若い者はみんなソウルへ出て行っちまうし、社会構造が激変だぜ、という社会に対する啓発を語っているのである。彼自身、田舎出身者なので(なんとなく格好から想像)、その痛々しさがアーティストの目を通してわかるのだ。おそらく彼は大韓ロックのブルース・スプリングスティーンのような御人に違いない。サウンドアメリカンな骨太ロック+メロウな泣きが入る感じ。


<結果>


 ズバッと80年代風のアップ・テンポの曲で始まる。80年代風なドラム(リズム・マシンだろ?これ)、80年代風なシンセ、エレキの泣きのソロ。その風情、マッチ(近藤真彦)の曲のよう。歌唱は、演歌−こぶし+ロック=・・・、というような感じで、つまりクセのない熱唱である。バラード、R&R、R&B、吉幾三タイプの演歌調の曲など、意外とバラエティに富んだ楽曲の並べ方に冴えを見せるが、聴いていてあることに気付いた。


 刑事ドラマの主題歌、挿入歌、エンディング曲のようなノリなのだ。私はこれまで歌に「刑事モノ」というジャンルがあるなどということを考えたことがなかった。まぁ確かに緊迫感みなぎるサウンドや、尾行時などの背後で流れる疑惑感溢れるサウンドなどは刑事ドラマ特有のサウンドと言えるだろうが、この場合、歌である。それが醸し出す、時代の音を臆面もなく取り入れる(それもかなりチープな方向性で)姿勢、大仰な盛り上がりを期待しているのに盛り上がり切らない煮え切らなさ感、役と曲との妙な剥離感・上滑り感、コンセプトはきっちりあるのに内容がついて来ない感、などなどがまるで「流行らない刑事ドラマの曲かくあるべし!」と訴えているかのようなのだ。


 私の中では、彼は役者業もこなすタレントで、時々レコードなんかも出しているのだが、86年当時、刑事ドラマなんかもやっていて(ジャケはその役柄、レイバン刑事)、その流れでリリースしたのが本作である、ということにしておこう。ん、ブルース・スプリングスティーンみたいな感じは全くありませんでした。