サズ伴奏で歌う、の巻
5月7日、我がウェブサイトに「海の物語」という曲を追加しました。よかったら訪れてみてください。全般的にくら〜いです。
そんなこと面倒くさいという方はここでもお聴きいただけます。概ねくら〜いです。
サズというトルコの国民的な民俗楽器を弾いている(サズ、コチラでも紹介してます)。などと書くとまるで私がサズ弾きのようだ。サズを弾くことは出来ません。しかし弾いています。自己流ってやつです。
トルコでは、まぁ、誰でもが出来るものではないけれど、大勢の人がサズを演奏することができる。どうかな、日本の若者でギターを弾けるものと同じくらいの比率かな、いや、それよりは少ないかな。しかし伝統楽器で比べれば三味線を弾ける比率とは比べ物にならないほど多くの人がサズを弾く。百倍の勢いで違う。個性的で面白いと思ったのは弾き手によって弦の数やチューニングが違うことだ。
楽器屋でも商いの中心はサズだ。
「サズ見せて」
「まぁ、弾いてみろ」
「弾き方がわかりません」
「ギター弾けるか」
「弾けます」
「じゃあ、いいから弾いてみろ、お前のやりかたで」
適当にちゃらちゃら鳴らしてみる。
「ふーん。いい。いいけどお前には重大な問題がある」
実に傷つく言い方じゃないか。そして自分で弾いてみせる。押さえる指の動きがバレリーナの足元のようだ。エキゾチックで哀愁を帯びたフレーズを装飾音の雨あられで弾く。そして私の「重大な問題」について具体的には語らない。見ろ、聴け、気付け、サズのことだけ考えろ、のめり込め、トルコ人になれということなのか。
私にはその道に進むことが出来なかったな。いろんなもの弾くけれど、基本的に「何々風です」「どこどこ風です」などと語れないのは「重大な問題」宣告が相当こたえているのだ。自分ではそう思っていても現地人にはそう聴こえないかもしれないじゃん。なので重大な問題を抱えたままプレイしています。そこで自分に居直っているのが私の音楽です。こたえている割にはふてぶてしいな。
一説によると、ある日、夢の中に少女が現れるのだそうだ。可憐な、可愛い少女が。で、目を覚ますとあら不思議。指が勝手に動き出し、それまでまったく触ったこともなかったサズを弾けるようになり、メロディと言葉が泉のように湧いてくるのだそうだ。そして夢で見た少女を追い求め放浪の吟遊詩人になるのだとか。
サズ少女よ、私の夢に現れてくれ。できれば今夜にでも。お待ち申し上げております。受け入れ態勢万全です。