古代ギリシャの音楽


 夏は古楽のようなものを聴くのが良い。


 などと一見素敵に洒落のめしたことを書いてみる。もちろん、冬に聴いたって一向に差し支えありません。


 西洋のシリアスな古楽にろくすっぽ素養はないものである。その手の音も良かろうが、滅びてしまったものというのも格別の感興をもたらす。イベリア半島がアラブ人に席巻されていた時代の置き土産のような音楽であるとか、正倉院の収蔵楽器の復元古楽であるとか、探せば見つかる。わたしゃ地域は問いません。


 現代の楽器が、テクノロジー的にある程度その楽器の完成した到達点を示しているという前提にとりあえず立ってみると、往時の古楽器の音は、音量的に劣っていたり、ノイズ成分を含んでいたり、操作が変態的であったり、常に同じ演奏結果を保証しないものであったりするわけだが、その分ユニークでもある。そんな音の質感は私を遠い歴史の深部へ誘うようだよ。


 ふ、詩人よのぅ。


 古楽といえば古楽なんだろうが、創作といえば創作と言えないこともない、なにしろ対象が古すぎる音楽なのだ。



古代ギリシャの音楽』グレゴリオ・パニアグワ&アトリウム・ムジケー古楽合奏団
Musique de la Grece Antique / Gregorio Pagiagua & Atrium Musicae de Madrid



 非常に名高い盤で、オーディオ・ファンの間では録音の良さでも知られているらしい。


 私のは学生時代に学校の視聴覚室で借りてきたLPを、拾いもの同然のレコードプレーヤーで再生し、カセットテープにダビングしたものなので、オーディオファンならばせせら嗤うことだろう。なっちゃいないと。まぁ、しかし、いいじゃないか。


 古代ギリシャには既に音楽を記録する記譜法が存在していたらしい。そうした断片でしかないものをも含む考古学的な資料、哲学者らによって記された当時の音楽のありさま、パニアグワによる解釈・創作、幾つもの楽器の復元などにより、古代ギリシャの神々への祈りのような、ギリシャ神殿で、はたまた円形劇場で、あるいは神域で奏されているような曲が並ぶ。


 ポリフォニックではない。旋法的である。リズムは古典ギリシャ語の詩のリズム、その長短アクセントと一致して刻まれているように聴こえる。


 人によっては、退屈な音楽かもしれない。なにせ、基になるのは考古学的で断片的な資料なのだ。決してお上品ではない民俗音楽に近い響きのものもある。古代ギリシャ人に聴かせたら「いやー、いい音楽だね、ところでどこの音楽?」などと言うのかもしれないし。が、私にしてみれば、正に歴史的名盤、真にクリエイティヴな作品に思えるが。


 と、兵どもが夢の跡、ではないが、夏の、草木がぼーぼーと茂るその生の絶頂に、古について思いを馳せるこの感性は、ジャポン的なものか、はたまた洋の東西を問わぬものか。それが音であるところが音きちがい(俺さ)の面目であるのだが。


 書き忘れた。パニアグワの「古代ギリシャの音楽」、ともかく、冒頭と最後の音に(同じ楽器だ)、それを聴いたものは誰もがのけぞるようだ。音は人に時空をワープさせる。



Musique de la Grece Antique

Musique de la Grece Antique