異邦人 久保田早紀


 この週末、昭和の名曲集8枚組みたいなやつをずうっと聴いていた。知り合いのオバチャンに借りたもので、オバチャン曰く、以前、高級CDラジカセ買ったらオマケに貰ったとのことなので、よく新聞通販に載っているような企画盤なのだろう。
 日本の歌謡史みたいなものを自分の中でいずれ整理したいな、とは思っているのだが、なかなかそういった活動に時間を割くこともままならず、思いを放置しっぱなしの状態が続いている。
 気持ちとしては、口承としての地方民謡、座敷などの芸能的なものから、録音の初期を経過し、戦前・戦後の変化を経て、演歌の成立、歌謡曲の成立、シンガー・ソングライティングの発展、今日的な状況までを年代別に筋道立てたいものだ。批評的な目的などはなく、自分の中での交通整理というか、少しルーツ探し的な意味も含めてなのだが。


 さて、その名曲集だが、最も古い録音が昭和3年藤原義江「出船の港」と、二村定一君恋し」で、最も新しい録音が昭和63年、美空ひばり川の流れのように」となっている。60年の幅というのはやはりサウンド面で革命的な変化をもたらしていると感じる一方、日本の歌謡の特徴として括れそうな要素もいくつか感じることができる。その辺は感覚的な感じなので、うまく言語化できそうな日がやってきたら、また語りたいと思う。


 比較的あたらしい録音の中で特に印象的な曲である。


 久保田早紀「異邦人」
 作詞・作曲 久保田早紀 編曲 萩田光雄 1979年(昭和54年)


 私はてっきりこの曲が80年代の曲だと思っていたが記憶違いだったようだ。とにかく猛烈に流行った記憶はある。
ペルシャの市場にて」みたいなエキゾチックなイントロと哀愁を帯びたメロディ、名曲だ。それに彼女は美人だったし、小僧にはちょっと近寄りがたいようなアンニュイな雰囲気も湛えていたように思う。


 とくに好きなのは、
「あなたにとって私、ただの通りすがり。ちょっと振り向いてみただけの異邦人」
 という一番の最後のくだりである。
「ちょっと」と促音で注意を喚起し、その後の一瞬の間で曖昧な余韻を醸し出し、「異邦人」と体言止でずばっと言い切って終わる。言い切りなんだけれど強い断定口調ではなく、下降していくメロディにのせて抜き気味に歌うところに、哀しさ、虚しさ、そうでなければいいのにな、というようなやるせない願いなどが伝わってくるではないか。


 後年、世界の様々な音楽を聴くようになり、ポルトガルのファドという音楽の女王と呼ばれるアマリア・ロドリゲスを聴き、その「マリア・リスボア」という曲に私は「異邦人」の、曲としての原点を見た(聴いた)。
 メロディ、構成とも、非常に近しく感じられる。だが、そうした元ネタ的な曲を聴いてしまった後も、私の中で久保田早紀の「異邦人」の価値が褪せることはなかったようにも感じている。そのくらい「異邦人」という鮮烈な世界を味わわせていただいたことへの感謝と尊敬が勝っているのだと思う。それに彼女は美人だったし。


 私は久保田早紀について「異邦人」以外の曲が全く印象にないのだが、それも別にいいのではないだろうか。リスナーとして私が聴きたいのはアーティストの渾身の作品だ。シンガー・ソングライターというのは大体、作詞・作曲のプロフェッショナルではないのだから、一世一代の曲を評価されてデビューし得たとしても、同じテンションの2曲目・3曲目など容易に産み出せる訳ではないだろうと察する。その一世一代、この歌を歌うために私は生まれてきた、というような空気にふれられれば聴き手として満足なんだ。