ジャケ買いレコード評、韓国編(4)



 さて、ソウルにてジャケ買いしたレコード達だが、ここまで折り目正しいフォーク、刑事ドラマ系ロック、白昼系ムード歌謡と、日本のシーンと対応するのかしないのか何とも言えぬ盤を紹介してきた。それらがメインストリームなのかどうかもわからないが、さりとてサブカルチャーの雰囲気を感じなかったことも確かだ。歴史に弁証法的なドラマを求めるならば、ここいらでにゅーうぇーぶな、革命的な、実験的な、ぽすともだんな作品が欲しい。


 ということで、パク・クァン・ヒュンである。ラテン・アルファベットで書かれているので簡単に読めてしまう。タイトル不明。


<予想>
 ジャケは4コマに分かれていて、それぞれに時刻らしきものが記されている。左上05:08、右上13:12、左下17:42、右下23:07、と、要するに日がな一日中、D-50というシンセサイザーの前で制作に没入している図を描いているわけだ。この時点で、彼が非常にアーティスティックな動機を持った表現者であることが偲ばれるだろう。但し、このようにお部屋でシンセにひたすら向かうというスタイルの表現者からは次のタイプの作品が産み出される傾向があると見る。


1.世間の流れを完全に無視した自分だけにしかわからない世界。
2.世間からの刺激を、自分という小さな枠とシンセという万能なようでいて不能な器の中で再生産しようという、すご〜くスケールの小さな世界。


 私はそのどちらの傾向をも否定しない。すぐれたアイディアならば、それがどこでどう生産されようとそのアイディアはすぐれているのだ。
 私は韓国の住宅事情に明るくはないが、彼の暮す部屋は、んー、狭いな。なにしろシンセを弾くすぐ脇、真横にスチーム暖房機らしきものが写っているほどだ。こんな部屋じゃあ、韓国伝統の銅鑼だ鉦だ太鼓だ、というジャカスカ音楽に手を染めるわけにも行かず、ギターのような楽器ですら、そんなもの弾いて歌っていたならお隣のキムさんから怒鳴り込まれる、という環境が容易に想像がつく。ということから、狭く、日陰の部屋で、彼の心の叫びはシンセに刻まれるしかないわけですよ。それがマッドな、オルタナティヴな奔流となって溢れ出す。つまり、ソウルの住宅事情を逆照しながら、彼にしか理解不能なドロドロ世界へと突き進むか、或いは、箱庭ちっくなシティー派シンセ・ポップか、二つに一つだ。


<結果>
 ここまでどの盤も音のヌケが実に悪かったのだが、この盤もまた格別だ。制作年代(1989年作)を考慮しても自主制作としか思えんレベルだ。曲は、ん、これは!!リズム・アンド・ブルースに影響を受けながらも都会的なアレンジでさらっとまとめられている。バックグラウンドに欧米のポップス系を感じた盤がこれまでになかったことを考えると「気持ちわかるよ、パクさん」と肩を叩きたくなる。実際、ゆったりとしたテンポを主体とした曲も悪くないし、ファルセットと地声を巧みに使い分ける歌唱も今風ですらある。
 この辺りのジャンルってなんと呼べばいいのかわからないのだが、日本で例えると徳永英明とか、げっとあろんぐとぅげざー(歌ってる人忘れた。山根何某?)とか、杉山清隆とか、一時期の披露宴のカラオケ系とでも申しましょうか、ジャケットの袖をまくっている系とでも申しましょうか、そんな感じ。一応シティー派?


 まさか、シンセに没入するジャケからR&B的なサウンドが来るとはな。しかも渋いギター・ソロなども入ってるし。シンセ前面に出てこないし。おかしいなー。