バックアップ


 このところ風邪など患っていて実に気分がすぐれない。鼻腔と軟口蓋の接点における度を越した痛みは去ったが、咳痰洟症状に移行し、とてもウグイスのように喉をふるわせて歌う状況ではない。丸10日ぐらい楽器にも触っていないな。


 その間、まぁ、常日頃から、一応パソコンなど使い自分が奏でる録音を記録していたりもするし、また、愚にもつかぬ写真などもたまってきたりということで、それらのファイルをバックアップしてみたりした。定期的な整理である。


 まったく、バックアップをとっておかずに失われる貴重な財産たるや、一体、全世界で一日にどれほどのものなのかと想像すると、きっとそれは計り知れないのだろう。計り知れぬ失意。お気の毒なことだ。ハードディスクがお釈迦になるのと同時に、全てが失われる人だって大勢いるはずだ。私はそんな時に途方に暮れぬよう、大切なものは一応対処している。オンラインのストーレッジに保存していたり、CDやDVDに焼き焼きしているのです。その日暮らしのエピキュリアン、と見せかけて、自分の創作の記録などには執拗なこだわりを見せる面があります。忘れたふりをしていても、私は過去に制作したもののことを、かな〜り詳細に覚えていますよ。


 昔、ワープロというものが主流の時代のことだが、それでコツコツと学校の学位論文を執筆していた。確か、400字詰め原稿用紙換算200枚以上で、製本屋で製本のうえ、二部か三部か提出することが決めだったような覚えがある。つまり、提出日までに殴り書いて綴って済むという話ではない。製本屋の都合に合わせなければならないのだ。


 内容はともかく、私の論文制作はどうにか順調に進行し、年もおしせまった大晦日の朝、最終章を書き上げ、いよいよ参考文献リストを入力すればほぼ完成するというところまで辿り着いた。これで新年は楽しく飲んだくれて過ごし、それから製本屋へ原稿を持ち込み、一週間ほどで製本された論文を一月半ばの提出日に提出すればよいというわけだ。


 寒い朝だったな。電気カーペットの上にごろりと寝ころがってワープロを操っていた。と、それまでの記述を保存していたフロッピー・ディスクから読み込みが出来ない。どうしたことか。いくらやってもエラーである。電気カーペットの温かさでおかしくなったか。


 途方に暮れ、青ざめた。半年くらいかけて書いてきたものだが、この一枚しかバックアップしていなかったのだ。一応、最終章の手前までは紙にプリントしてあったが、いろいろと自分自身で赤ペンチェックなどもしていた。


 こうなりゃあ手書きだ。書けばよいのだ。私はその日暮らしのエピキュリアン、と見せかけて、気分を転換するのが妙に速いのだよ。新年は原稿用紙に論文を殴り書く日々になった。飲んだくれている場合ではない。


 手書きの論文はその後製本され、学校に収められ審査を受けたもののほか、私の手元にも今も一部残っている。結局、データは殴り書きだろうと紙にしておくことが一番なのかもしれない。音楽なら楽譜に。写真ならプリントに。


 とはいえ、音楽、それも録音物は、その時の模様を再現することが困難だろうし、素人のベストプレイは、なにしろ再び弾けるかわからないので、こだわりモノはいろいろな所に保存しておいたほうが良い。うわ、世間にまるで役立たずのこの日報で、教訓めいたこと書いちまった。ういっす。いろいろ気をつけます。