くせ毛頭の男


 数年前、一つの決意をした。


 「今後の人生、俺は髪型を変え続ける」


 まずまずロックンロールな決意と言えるじゃないか。そして俺はそれを実行した。


 いろいろと変化をつけるには元手が必要だろう。やや鬱陶しく髪を伸ばした。そして美容院へと赴き、なんとなく爆発した感じのパーマネントをかけた。なんとなく爆発した感じが俺の人生決意に賭ける意気込みを物語っているようであったが、風になびくなんとなく爆発した頭は非常にコントロール不能な状態であった。


 私は以前、額から頭頂部へと至るゲーハー(隠語)を、サイドのロングヘアによって、いわゆるバーコード状に装飾する髪型をなさった人物が、強風に難儀する様をつぶさに観察し(アシンメトリーな落ち武者のような髪型になる)、風の馬鹿野郎、と呟いた記憶があるが、なんとなく爆発したヘアスタイルもまた、強風に対しては波に漂う藻のような無力さであった。なんとなく爆発したヘアスタイルを志す方は、風の影響を考慮するべきである。


 余談だが、その、強風に難儀するゲーハー(隠語)の図は今でもストップモーションのように思い出せる。風の、馬鹿野郎。


 さて、以後、フェミニン系くるくるヘア、ドイツの科学者系くるくるヘア、東地中海風フラッパー、前髪がありません、いつでも寝癖です、目指せキノコなど、人生決意に従い次々と髪型の造作を変え続けたわけであるが、ある日、それがまったくの徒労だったことに気付くのである。


 つまり、どんな髪型にしてもしばらくすれば同じ髪型に収斂していくのである。これは衝撃的な事実である。爆発もフェミニンもドイツの科学者も、何週間かすると「なんとなくいつもの俺」になっているのである。おかしいな。


 まぁ、髪かたちを変えても面は変わらないしね、見慣れただけさ、などと自分を誤摩化してはみたものの、誤摩化しきれないほど結局おなじ髪型になる。おそらく、このジャポン国での社会生活不能なヘアスタイリングなどを志さない限り、私の人生決意などケチなものなのだ、ということに気付く。


 そして人生決意モチベーションはガクッと落ちた。最近の俺は美容院で「その辺ちょっと切ってください」とか、ま、そんな感じである。しばらくすりゃどうせみんな同じ髪型になるのだ。くせ毛のもこっとした頭。ちょうど今まさにその頭。


 とはいえ、将来やってみたい髪型はある。ずばり小澤征爾アンディ・ウォーホルの銀色頭、アフリカ女性のアンテナ型ヘアスタイルなどである。


http://www.imagesofanthropology.com/images/e.traditional_hairstyle_Central_African_Republic.jpg


Images of Anthropologyより