賭けと念


 日常、何気ないことに人生を賭けてみることってありませんか?


 私は青少年時代からよくそんな賭けに耽って参りました。


 青少年時代の例を挙げると、線路のレールの上を落ちないで目標ポイントまで歩いて行ければ彼女は俺を好きになる、とかそんな感じの。


 彼女が俺を好きになったかどうか、今となってはどっちでもよくなってしまったが、とりあえず、電車に轢かれたりしなかったことの方が、今となっては余程重要に思える。線路の上を歩いたりするものではない。田舎環境ならではの賭けといえよう。線路が通学路だったのだ。



 さてサッカー・ワールドカップである。


 目下、日本代表はグループリーグを二位で通過し、いよいよ決勝トーナメントへ挑むところまできた。


 その快進撃の陰に、私の人生の賭けがあったことを人は知らない。



<実録秘話・日本代表快進撃を支えたある男の挑戦!>


 6月14日は、日本代表の初戦、対カメルーン戦の日であったが、その日は私にとっても年に一度の恒例イベント:健康診断日でもあったのだ。毎年記しているが、胃カメラ飲み込む日ね。


 毎年、私はカメラを飲み込む際「うえっ」と声を上げ、カメラで胃内を撮影されている最中「ぐえええ」とげっぷを堪えられず、溢れ出る涙で何も見えない状況となる。修行じゃ。修行なのじゃ。


 しかし、今年の私は、私に賭けた。


 「胃カメラの最中、泣かなかったら日本代表が勝つ!」


 おお、日本の命運を一身に背負った男、それが俺。まさかそんなこと、看護師も医師も知る由もなかろう(言えるか、そんなこと)。


 実際、遠慮なく扱われた感じはある。


 「うえっ」
 「ぐええええ」
 「ぐええええ」
 「うえっ」


 その間、看護師に背中をさすり続けていただいたり、励まされたり、毎度のことであるが苦しく情けないものだ。そして、遂に私の喉をカメラの管がするっと抜けて行った時、私は私に課せられた使命を思い出していた。


 泣いたか?泣いたのか俺??


 左目から溢れる涙は、それは隠しようもなかった。それも人生。私は右腕で左目の涙を拭った。


 しかし、おや、右目は乾いていた。右目は泣いていなかったのだ。


 これって、どういうこと?勝ち?負け??


 釈然としない気分ではあったが、その夜、代表は歴史的勝利を刻むのである。



 このように、世間は知らぬだけで、歴史的事実の背景には、いろいろな念のようなものが隠されているものなのだろう。私の右目までもが濡れていたなら、一体どんなことになっただろうか。なんと恐ろしい。


 と考えると、いつの日か、中国対インドのような超大国(人口的に)同士が決勝などで相まみえるとしよう。そして国民が一心不乱に念を送ったとしよう。


 10億超対10億超。


 片や小龍包食って口の中火傷しなかったら中国の勝ちに賭ける国民だけで恐らく2億、片や今日の弁当がカレーだったらインドの勝ちに賭ける国民だけで恐らく8億、飛び交う念の重さにフィールド上の選手達は微動だに出来ない状態になるに違いない。蹴った球も選手の意思通りに飛ぶものか、念によって軌道が大幅に歪められるか、それは蹴ってみなければ決してわかるまい。


 ということで、決勝トーナメントでも私はひっそりと何かを賭けてみようと思うのである。多分だが、人口規模1億超のこの日本であるから、私同様、胃カメラ飲んで泣かなかったら日本の勝ちに賭けている人が、6万人くらいはいるんじゃないかと思っている。みんな、泣くな!泣くなよな!!